書評
2022年6月号掲載
広重の気概
梶よう子『広重ぶるう』
対象書籍名:『広重ぶるう』
対象著者:梶よう子
対象書籍ISBN:978-4-10-120955-5
昨年、『吾妻おもかげ』で菱川師宣を描いた梶よう子が、次なる主人公に選んだのが歌川広重であった。その新刊、『広重ぶるう』は彼の生涯を五景に分け、いわば五つの修羅と対峙させた構成が光っている。
私達はこの一巻のページを繰るや、我知らず衿を正している自分がいる事に気付かされるであろう。それは本書が、作者と広重との真剣勝負である事がひしひしと伝わってくるからに他ならない。
最初の修羅場は、火消同心の家に生まれた重右衛門、後の広重が絵師を志すもなかなか芽が出ず、しかしながら北斎が使っていた異国の色、伯林(ベルリン)でつくられた“ぷるしあんぶるう”通称ベロ藍と出会い、これを広く、どこまでも抜けていく空の色、紺碧の空の色だと捉え、この色は景色を彩る色だとする事によって活路が拓ける。
そして重右衛門は年の瀬の繁華な町で空を仰ぎ、これこそがベロ藍の色だ、そして自分が描きたいものはそうした抜けるような江戸の空だと確信する。
この色との出会いが重右衛門の絵師としての、そして貧乏御家人である火消同心としての修羅から大きく飛躍させる事になる。
自分が描いた江戸の空の色に自信を持った重右衛門は、保永堂から「東海道五拾三次」の画題を依頼され、ベロ藍をたっぷり使ったこの作品は大当りをとる。
そして得意の頂点にある重右衛門は、画狂人北斎から「おれとおめえさんとは同じ景色を見ても、まったく別な画になるんだよ」「おめえがおれと同じ土俵に上がれると思ったら大間違いだ」とやりこめられ、更に「版元のいいなりに下絵を描いて、ちっとぱかし売れたぐれえで浮かれてる画工と、一緒にするんじゃねえ。名所絵なんざおめえにくれてやる」とたたみかけられる。
あの老体のどこから、厚かましい程の熱情が湧いてくるのか、まことの絵描きとはなんだ。重右衛門は周囲から持ち上げられれば持ち上げられる程虚しくなるのだった。
そんな重右衛門を最大の不幸が襲う。貧乏時代から陰になり日向になり彼を支えてきた良き理解者、妻・加代の急逝である。そして加代の死後明らかになる彼女の想い――師匠である豊広の掛け軸。これらのくだりは、さざ波のような感動に満ちている。
かてて加えて、老中水野忠邦による改革で奢侈禁止令が公布される。広重は風景画に特化しているので、実害は被らずに済むが、彼の心中は穏やかではない。
だが一方で、ユーモラスな修羅場もある。重右衛門の下に、押し掛け奉公のお安がやってくるが、男やもめと出戻り女が同じ家に暮していれば、わりない仲になるまでさほどの時間はかからなかった。このお安、大変なうわばみで、言いたい事をぽんぽんぽんぽん言うものだから、重右衛門、何も文句を言わずにじっと耐えていたお加代の事が想い出されてならない。
そんな折、一番弟子の昌吉が若くして労咳で逝ってしまう。弔いが終わった後、彼の母は夜具の中で昌吉が描いたという画の束を見てほしいと渡す。命を削りながら描いた百枚余の画。その中で、たった一枚だけ水茶屋勤めの若い娘が描かれており、おすみと記されていた。このあたり、作者の哀感をそそる筆致はたまらない。
が、オチオチそんな感傷にばかり浸ってはいられない。
義弟・了信の借金五十二両二分を払わないと、養女お辰を売り飛ばすと言われ、これまで手を出さなかったワ印を描く事になるが、元々風景は得意でも人間、それも女を描くのが不得手ときてはいかんともしがたく、これがまたぞろ人間喜劇を生む事になる。
そして重右衛門は、豊国合作の「双筆五十三次」で大当りをとる。しかし、重右衛門には、描き残した江戸の風景が、寝ても覚めても浮かんでくる。が、江戸は安政の大地震に襲われる。瓦解した江戸の中で、重右衛門は、どのようなライフワークを見出す事になるのだろうか――。
本書はここで、復興すらをもテーマに取り込み、広重の生涯を見事に浮かび上がらせる。
特に結末へ向けての収斂(しゅうれん)は、白眉と言ってもいい出来映えを示している。
(なわた・かずお 文芸評論家)