書評

2022年12月号掲載

共感の時代のソリチュード

ふかわりょう『ひとりで生きると決めたんだ』

鈴木涼美

対象書籍名:『ひとりで生きると決めたんだ』
対象著者:ふかわりょう
対象書籍ISBN:978-4-10-353792-2

 たとえばニジンスキーが華麗な跳躍を封印して『牧神の午後』を上演したとき、たとえばグレン・グールドがデビュー盤の楽曲に『ゴルトベルク変奏曲』を選んだとき、たとえばココ・シャネルが喪に服す色を使ってコルセットのないミニドレスを発表したとき、賛意を表明する人などごく僅かだったのであって、独創性が常に無理解や批判に晒されることを私たちはよく知っている。そして孤独なしにはあり得なかった革命の歴史を愛し、天才たちの感性を否定した当時の人々の愚かさを得意げに語ってきた。それをした同じ手で、「いいね!」と共感のボタンを押し合い、寄せられた共感の数を比べ、あたかもその数が人の価値を決めるかのように振る舞いながら。
 芸人、タレント、DJなどしっくりこない既存の肩書きの間を揺蕩(たゆた)い、「いいねなんて、いらない」と公言する著者の22篇のエッセイはその意味で、共感なんていうものからまるっきり自由な想像力に彩られていた。窓の外の青鷺の巣に一発本番の舞台と重なる雛の巣立ちをイメージし、ネットオークションの品揃えから出品者の人生の節目を思い、オープンカーの革シートに舞い落ちた春の落ち葉と会話を始める。何気ないとしか言いようのない風景の背後に、無数の物語が動き出す。
 前作『世の中と足並みがそろわない』には、人間に改良を繰り返され、自らの力では起き上がれずにいる羊たちを起こして回る記述があった。本作で多くの人が見逃しがちな細部の歪(いびつ)さを眼差(まなざ)すのもまた、草原に溺れる羊に気づくのと同じ目だ。誰かを論破することにも共感をかき集めることにも興味を示さないその視線に、想像力こそ優しさの正体であると確信する。砂時計について書かれた章では、かつて番組で扱った砂時計職人が、肌寒い季節に冷やし中華を食べていたことが回想される。「もしかすると、普段時間に支配されている反動が、季節外れの冷やし中華に繋がったのではと、笑みを浮かべて見ていました」。
 その気づきは時に不可解で突拍子もない方向に突き進んでいく。平日をワルツのリズムにするために、現状7日の一週間を5日にすることを提唱する。IHの火力を10にすると薬缶を急かすことになるので、弱火の4に設定する。その世界に「わかるわかる~」も「たしかに~」も入り込む余地はない。目が点になり、混乱すらする。面倒な人、ズレた人とラベルを貼ってしまえば、私たちは“正常な”感覚のまま日常を受け流し続けるのだろう。
 著者の繊細な眼差しからしか生まれ得ない作品は、かなり特異な仕方で私の身体と生に入り込んできた。半分はもとからなくて、半分は今まさに失いつつある何かを見せつけられた気がして、唐突に胸が苦しくなった。今の私の目にはバルサン焚こうの合図としてしか映らないダニが、どこからきてどこにいくのか気になったことは確かにあった。日用品から声が聞こえてくるような感覚も全く身に覚えがないわけではない。それでも荒々しい世界で傷付かずに生きていくために、子どもの頃の感性にヤスリをかけて生きてきた。かつて誰もが持っていたかもしれない独創性も、目の前に降りかかってくるものを薙ぎ倒しながら進むうちに削ぎ落とされ、鈍化していく。私にはそれを否定することはできない。社会の形に合わせて削られた感性は似通っていて、気楽にいいね!と共感しあえる。凡庸さを受け入れる代わりに孤独を逃れる。退屈だけど、仕方がない。
 それでも本作に挟み込まれた余情のある言葉たちは、私たちの殺伐とした日常をドラマチックに補完してくれるものだった。風の試着室、襟の悲鳴、太陽のない場所、町内会のG7。本を捲(めく)らなければ取るに足らないものだった細部に、小さな世界が少しの間浮かび上がる。本を閉じればやはり荒っぽい神経で、日常に戻るのだとしても。
 それにしても。神経が鈍化する前の子どもの繊細さを持ったまま中年になることが、いかにして起こり得たのか。それを保ち続けることこそが最も大きな才能だと言ってしまえば身もふたもないが、本の中で垣間見える「習慣のように同じことを繰り返す」特異な生活は何かしら関係していそうではある。独自の反復の中にいるからこそ、小さな変化や僅かな狂いに敏感になり、そのひずみの中に世界の異常さが見える。そう考えると著者がクラブミュージックを操るDJでもあることは大変合点のいくことでもある。リズムの反復の中に陶酔が生まれ、小さな破綻に高揚がある。タイトルの「ひとり」は、その独自のリズムを保つことを指すとも言えるのだろう。
「横たわったまま吐かれたかぼそい息が天井に消えると、尻尾を揺らして私の周りを歩いていたビーグルは、四角い額の中から私を見つめるようになりました」。胸を抉られるような別れを経てなお著者は孤独を引き受ける。「孤独(solitude)」を「寂しさ(loneliness)」と明確に区別したハンナ・アーレントに倣えば、孤独とは自分が自分自身と豊かな対話をしていること。多くの大人が本来的な意味での孤独に耐えられず、寂しさをいいね!で埋め合わせる時代を、荒野から不安げに見つめる羊の細い足は、あらゆる創造性の源に見えた。


 (すずき・すずみ 作家)

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