書評

2023年3月号掲載

なぜボブ・ディランは学生街で流れていたのか

北中正和『ボブ・ディラン』

北中正和

対象書籍名:『ボブ・ディラン』
対象著者:北中正和
対象書籍ISBN:978-4-10-610986-7

 1972年に発表されたGAROの「学生街の喫茶店」はフォーク/青春歌謡の定番曲としておなじみだ。歌は主人公の学生時代の回想からはじまる。場所はボブ・ディランの音楽が流れる喫茶店。その片隅で彼はよくガールフレンドと他愛のない話をして過ごした。しかし歳月は止まってくれない。時を経て店を再訪すると、人も音楽も変わっていた。別れてから愛していたことに気づいた彼女の消息はわからないまま……。
 歌詞では説明されないが、主人公が店の常連だった60年代後半は学生運動がさかんな時期だった。店でボブ・ディランが流れていたという設定は、彼の音楽が当時のカウンター・カルチャーの象徴と思われていたからだ。
 この歌詞がもしボブ・ディランでなくビートルズだったらどうか。ビートルズもまた当時のカウンター・カルチャーの先導者だった。しかも街に流れていた音楽は、ボブ・ディランよりビートルズのほうが圧倒的に多かった。しかしここでビートルズにすると、当り前すぎて、主人公の少し屈折した気持は表現できなかっただろう。
 ボブ・ディランは批評性に富む詩的な歌で「フォークのプリンス」「若者の代弁者」「時代の預言者」などと呼ばれ、エレキ・ギターを持つようになってからは、フォークの形骸化にも警鐘を鳴らすなど、変革や反骨の人として知られていた。
 実はボブ・ディランは世間から貼り付けられたそんなイメージから逃れようと、70年前後にはわざとカントリーをやったり、カヴァー・アルバムを出したり、ライヴを休んだりしていた。しかしイメージはいったん刻印されると、容易には覆せない。彼が7年前にノーベル文学賞を受賞して驚いた人が多かったのは、ミュージシャンの受賞ということに加え、彼に対する世間のイメージが昔のままだったことも大きい。
 新潮新書で『ビートルズ』の本を出した後、『ボブ・ディラン』を書くことになったとき、真っ先に思ったのは、情報を更新しながら、なぜボブ・ディランの音楽が高く評価され続けてきたのかを考えられる入門書にしたいということだった。
 彼の歌には、ギリシャやローマの詩人、シェイクスピア、エドガー・アラン・ポー、アルチュール・ランボーから佐賀純一まで、さまざまな人の作品の影がこだましている。彼はそれをフォーク、ブルース、ロック、ポップ、ジャズなど多彩な伝統音楽の要素とシャッフルして、別次元の万華鏡のような物語を作りあげてきた。80歳を超えてなおコンサート・ツアーを続け、いぶし銀のようなダミ声で現代の叙事詩をうたい続けるボブ・ディラン。ともすれば難解と思われがちだが、実は耳に残りやすい曲が多い。来日公演も近い。この本が少しでも彼の音楽を楽しむ手がかりになれば幸いだ。


 (きたなか・まさかず 音楽評論家)

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