書評

2023年5月号掲載

虚無への関心を共有しつつ、その死を拒絶する

平野啓一郎『三島由紀夫論』

中島岳志

対象書籍名:『三島由紀夫論』
対象著者:平野啓一郎
対象書籍ISBN:978-4-10-426010-2

 1998年に『日蝕』で文壇デビューした平野啓一郎は、「三島の再来」と言われた。実際、平野が文学にのめりこむきっかけは、一〇代の頃に読んだ三島由紀夫『金閣寺』だった。「あの一冊との出会いがなければ、私の人生は今と同じではなかったであろう」と言う。その著者が二十三年がかりで書き上げた三島論が本書だ。
 平野が三島の人生に見出すのは、深い疎外感である。幼いころには、父母から隔てられ、学校も休みがちだった。第二次世界大戦では徴兵検査で第二種乙種合格、入隊検査では基準に満たないと認定され、国家の「大義」に参加することから拒絶された。
 本来自分がいるはずの場所に、自分がいないこと。生きていることは負債であるという観念は、無力感や虚無感を招き寄せる一方で、強烈な「出現への欲望」へとつながった。三島にとっての創作と行動は、不在の場所への出現欲求であり、その不在の場所を見てみたいという欲望が、「覗き」という主題へのこだわりにつながった。
 表現による自己「出現」を期する彼にとって、どうしても書かれなければならなかったのが、『仮面の告白』だった。これは三島自身が「能うかぎり正確さを期した性的自伝」と述べているように、自己の強い実存の要請によって執筆されたものだった。
 三島が描いたのは、性的指向と恋愛指向のずれだった。主人公の「私」は、恋愛指向が異性に向かう一方で、性的指向が同性に向かった。一人の女性を心から愛しながらも、肉体がそれを拒否する。その苦悩と実態が、赤裸々に綴られている。
 三島は何を表現したかったのか。平野は、三島の中にある「絶対に変化しないもの」への固執を見出す。三島にとって、性的指向と恋愛指向のずれは、不変の本質であって、「天性」という不可抗力に他ならなかった。それは時間の経過によっては決して変化しないものであり、両方が本物の存在だった。三島の中では、肉体と精神の二元論が均衡しながら対立する。その「生の無力」の「告白」こそが、逆説的に生の承認につながる。
 三島は、戦後世界に適応し、生きていこうと決意した。しかし、そこには常に「死」がビルトインされていた。平野が注目するポイントは、三島における時への軽蔑である。「絶対に変化しないもの」を見つめた三島は、時の経過によって人は変わるという観念を憎悪した。人は常に死と直面して生きている。死を意識すればするほど、真実は一瞬一瞬の「今」にしか存在しない。今を生きることにこそ、自己の本質が出現する。
 この「本質の肯定」こそ、天皇への強い関心となって表れる。平野は、三島の代表作『金閣寺』における「金閣」を天皇のメタファーと捉え、その放火の意味を追求する。
 三島は、三〇代半ばから後半にかけて、『鏡子の家』の不評や社会的トラブルに直面し、現実への幻滅を深める。そして、あるべき「日本」や天皇主義への回帰に到り、現実批判を強めた。
 天皇主義者は、往々にして「水」のメタファーを多用する。私という存在は「潮」や「渦」の中に溶解することで、自己と他者の境界線を失う。私は私という輪郭を喪失することで透明な共同体に同一化し、絶対的な本質へと接続する。他者とのわだかまりもない。自我の悩みもない。神のまにまに生きていく民族共同体だけが実在する。
 しかし、肝心の天皇は、戦後に「人間宣言」を行い、その絶対性を自ら拒絶した。そして、戦後の世俗世界に降り立ち、国民の象徴として生活し始めた。三島は、この「週刊誌天皇制」を徹底して拒絶する。戦後世界への順応は、資本主義を抱きしめて生きることに他ならなかった。ただ生き延びることは、どうしても虚無を呼びよせる。
 三島は、最後の文学的賭けに打って出る。『豊饒の海』の執筆である。彼は虚無の世界を「豊饒の海」に転換することの可能性を探求した。しかし、三島は戦後社会への究極の批判原理としての死至上主義へ傾斜し、楯の会の政治思想運動と通じて、「共滅」的共同体を指向する。そして、市ヶ谷での衝撃的な自決に至る。
 平野は「あとがき」で言う。「私は、もし本書を三島が読んだなら、自殺を踏み止まったかもしれないという一念で、これを書いたのである」
 死こそが虚無を乗り越える生の絶頂と考えた三島に対して、平野は虚無への関心を共有しつつ、三島の死を拒絶する。二人の生は時間的に重なっていないが、本書において時を超えた火花を散らしている。


 (なかじま・たけし 東京工業大学教授)

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