書評

2023年6月号掲載

もがきのはてに

小池水音『息』

小山田浩子

対象書籍名:『息』
対象著者:小池水音
対象書籍ISBN:978-4-10-355041-9

「息」の語り手・環は十五年ぶりにぜんそくの発作を起こす。「この苦しさを十五年のあいだ、ほとんど忘れていられたことが、自分でもふしぎだった。(略)わたしはいま長い夢から覚め、ようやくまた現実に立たされたのだと、そんなふうにもおもえた」彼女は苦しみつつ横たわり見つめるコンクリートの天井の継ぎ目になにか意味があるのではないか、天井が投げかけている意味を読み取らねばならないのではないかと感じる。弟の春彦もまたぜんそくで、姉弟はその苦痛をわけあいながら育った。十年前、彼は二十歳を目前に自死した。その理由は書かれていない。おそらく環にも誰にもわからない。だからこそ、環や両親は混乱し、そしてさらにだからこそ、表面上は穏やかに過ごしている。環は体の動きを描くイラストレーターとして一人暮らしの生計を立て、春彦の写真をいくつも家に飾り楽しそうに彼の話をする母と、一時期憔悴し引きこもっていたがいまでは軽い音楽を聴きながら長い散歩をするようになった父は噛みあわないがつかず離れずの関係で暮らしている。この十年間、環は春彦と列車に乗る夢を繰り返し見ている。車窓に蝶が飛び風が吹いている。どうしてわたしたちは楽に息ができないのか。なぜ春彦は命を絶ったのか、久々の発作によって環は、自分の体や人生に起こる理不尽さと向き合うことを強いられる。
 本書にはデビュー作「わからないままで」と三作目「息」が所収されている。単行本未収録の二作目「アンド・ソングス」も含めどの作品も端正で安定した文章で書かれている。三作には共通する要素が多く、「わからないままで」には、たとえばぜんそくの少女が天井を見つめる場面が出てくる。意味ありげに動き出しそうな木目に覆われているのに「天井の木はたしかに息絶えて」おり、少女になにも伝えようとはしない。息子、父、母等、複数の視点で語られる「わからないままで」には多くの魅力的な挿話があるが、それらの繋がりがタイトル通りわからないままにされている印象なのに対し、「息」はそのわからなさ、因果の見えなさを、なんとかわかろうとする、そのもがきを描いていると感じた。天井を見つめ意味を探すような、喪ったものを思い出すような、自分の呼吸と向き合うような。
 環は実家近くの小川医院を訪ねる。子供のころから姉弟を診てくれていた医師は言う。「そして、なるべく長く呼吸してください。たくさんではなく、長く。長く吸い、長く吐く。苦しいはずです」その帰り、かつて春彦と親しかった稜子に声をかけられる。稜子は春彦と海へ行ったときのことを語る。春彦は大きな鳥が海に飛びこんだのを見る。ふたりは一時間以上海を見つめ続けたが、その鳥が海面に上がってくることはなかった。それからふたりは疎遠になってしまう。あとで調べるとその鳥は魚をとるため海に飛びこんだ衝撃で目を損傷し海中で死んでしまうことがあるという。稜子はその日のことを繰り返しよみがえらせては「あのときわたしは、春彦くんになにかを問いかけるべきだったんじゃないか。あるいは、なにか伝えるべきことがあったんじゃないか」と考えていると語る。
 環は自分の体や呼吸や記憶と向き合う。春彦のこと、彼と最後に過ごした時間を思い出す。そして穏やかに暮らしていると思っていた両親にもそれぞれ深い喪失と慟哭が巣くっていたと知る。姉弟を苦しめた空気が気管を通るときの痛みは彼らの命を保つかけがえのないものでもある。春彦と稜子が訪れた海へ行った環は海面のビーチボールを見る。空気で張り詰め膨らんだボールは海面で不思議な動き方をする。水平に回転し、それが収まったと思うと一直線に沖へと流されていく。ときに人の命を奪うこともある離岸流、それを見て環は春彦が見た鳥はもしかして気を失って岸から沖へ流されたのではないかと考える。そして水の中で目を覚まして飛び立ったのではないか……本当は誰にもわからないそれを、因果を、自分に都合よく組み立てるのではなく耳を澄ませて目を凝らして息を吐いて吸って思い出して涙を流して、そういうもがきのはてに、そうかもしれないと腑に落ちる、そうであったらというイメージに触れる、それは本来なにも意味しないはずの天井の継ぎ目の意味を見出すような、見出すまでいかなくてもその予感を得るような、そういう営為の先に、世界は少しだけその姿を変えている。それを筆者は静かに丁寧に書いている。


 (おやまだ・ひろこ 作家)

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