書評

2023年10月号掲載

池波正太郎 生誕100年企画 SHOTARO IKENAMI 100TH ANNIVERSARY

84冊! 新潮文庫の池波正太郎を全部読む 前編

南陀楼綾繁

死ぬところに向かって生きている――。
映画と食を愛する粋な作家の意外な素顔は、小説作品にも投影されていた。
一気読みをこよなく愛する(?)ライターが名シリーズ『剣客商売』と江戸時代ものに挑む!

対象著者:池波正太郎

 今年の夏の気温は過去最高を上回り、強烈な暑さが続いた。そんななか、新潟県新発田(しばた)市に出かけた。この町で育ったアナキスト・大杉栄の足跡をたどる取材で、あちこちを歩いた。
 暑さにへばって休憩するたびに、池波正太郎の小説『堀部安兵衛』を読んだ。堀部安兵衛は、新発田藩の中山弥次右衛門の息子として生まれた。
 この作品のために、池波正太郎は新発田で取材をしている。
〈私が新発田をおとずれたのは冬の最中で、雪にうもれたわらぶきの、この小さな屋敷が、
「まあ、二百石取りの家ということです」
 と、郷土史家のS老にいわれ、そのとき、小説の書き出しが瞬間にきまった〉(「忠臣蔵と堀部安兵衛」『戦国と幕末』角川文庫)
 大杉栄は1923年(大正12)9月1日の関東大震災発生後、妻の伊藤野枝、甥の橘宗一とともに東京憲兵隊本部に連行され、殺害された。
 そして、『堀部安兵衛』を書いた池波正太郎は、同じ年の1月、浅草区聖天町に生まれた。父・富治郎は日本橋の綿糸問屋の番頭で、祖先は富山県井波の宮大工だったという。
 震災後、一家は埼玉県浦和市に移住。六歳で東京に戻るが、両親が離婚したため、浅草永住町の母の実家で祖父母と暮らす。
 今年没後百年を迎えた大杉栄と、生誕百年を迎えた池波正太郎が、新発田を介して私のなかでつながった気がする。そういう偶然の出会いを生むことが、読書の喜びなのだと思う。

映画と食を愛する作家だが

 三島由紀夫、松本清張と続いた「新潮文庫の◎◎を全部読む」シリーズ。
「今年は池波正太郎で」と、例によってK編集長に云い渡されたとき、今回はわりと楽かなと思った。高校生の頃に『真田太平記』を読んで以来、池波は小説もエッセイも好きで読んでいる。今回こそ順調にいくかもしれない。
 しかし、「単著だけで八十四冊あります」と云われて、その期待はすぐに消え去った。三島のときは三十四冊、清張は四十五冊でどちらも苦しかった。新潮文庫では、ひとりの作家の著作としては最も多いのではないか。他にも、『剣客商売読本』『池波正太郎の食まんだら』などの関連本も多い。
 その後、自宅に段ボール箱が送り付けられた。中には黄色い背表紙の池波の文庫がぎっしりと詰まっていた。
 しかし例の猛暑で、何もする気力が起きないまま、日々が過ぎていった。
 これではまずいと、自転車で西浅草にある〔台東区立中央図書館〕(固有名詞を〔 〕でくくるのは池波流だ)まで出かけた。同館には、2001年に開設した〔池波正太郎記念文庫〕が入っており、池波の著作や原稿の展示とともに、書斎が再現されている。
 池波は1952年、品川区荏原(えばら)に新居を構えた。この書斎は1969年に新築されたものだ。おもに夜に仕事をする池波は、この空間で原稿を書き、夜食を食べ、音楽を聴き、本を読み、絵を描いた。
 その生活の一端がうかがわれるのが、『池波正太郎の銀座日記〔全〕』だ。私は大学生の頃に読んで以来、繰り返し同書を読んできた。1983年から1990年までに書かれたものだ。
 池波は週に何日か、銀座で映画の試写を観る。ハリウッドの超大作もミニシアター系の映画もまんべんなく観て、面白いと思ったものは素直に褒める。
 映画が終わると街を歩き、お気に入りの店で食事をする。〔野田岩〕の鰻丼、〔煉瓦亭〕のポーク・カツレツ、〔ローマイヤ〕のロール・キャベツ、〔トップス〕のドライカレー、寿司屋では〔新富寿司〕〔与志乃〕。浅草では〔リスボン〕、神田では〔やぶそば〕〔まつや〕などの名前が挙がる。
 池波は庶民的な味を好んだが、貧乏学生の身ではこれらの店に足を踏み入れることもできず、銀座に行っても前を通り過ぎるだけだった。その頃は、池波のことを「映画と食べ物好きの活動的な作家」だと思っていた。
 しかし、何度も読み返すうちに、帰宅してからの池波が夜、孤独に原稿用紙に向かう姿が浮かび上がってきた。自分は「職人」「居職」だという認識を持ち、毎日休むことなく原稿を書いた。正月も元旦から仕事をする。
〈私の小説は、「何を書こう」ということが、たとえば道を歩いているときの一瞬のうちに決まる。その一瞬に、テーマも構成も決まってしまう。(略)そして、原稿紙へ向かってからの苦しみは、また、別のものである。一瞬のうちに決まってくれさえすれば、ほとんど、最後まで書きぬくことができる。これはやはり〔職人の感覚〕ではないかと、私はおもう〉(「職人の感覚」『新年の二つの別れ』朝日文庫)
 1985年、池波は高血圧と気管支炎のために入院。しばらくして復帰するが、1990年に急性白血病で入院し、六十七歳で逝去した。
 池波は、若い頃から人間は「死ぬところに向かって生きている……」という信念を持っていた(『男の作法』)。死を思うからこそ、どういうふうに生きたらいいかを真剣に考えていた。
 その信念のままに生きて、職人として膨大な仕事を成し、そして死んだのだった。
 以下、新潮文庫の池波正太郎作品を全部読んで感じたことを、二回に分けて書いていく。前編では『剣客商売』シリーズと、そのほかの江戸時代を舞台とする作品を取り上げる。

三大シリーズの共通点

 池波正太郎記念文庫では、『江戸古地図でみる池波正太郎の世界 鬼平・剣客・梅安の舞台』という地図を販売していた。
『鬼平犯科帳』『剣客商売』『仕掛人・藤枝梅安』は云わずと知れた、池波の三大シリーズだ。『鬼平』は1968年、『剣客』『梅安』は1972年にはじまり、いずれも亡くなるまで書き継がれた。『鬼平』は文春文庫で二十四冊、『梅安』は講談社文庫で七冊が刊行されている。新潮文庫の『剣客』は、番外編を合わせ十九冊だ。
 この三大シリーズには、共通項がある。ひとつは作中の時代設定が近いこと。『剣客』は1770年代から1780年代の安永、天明の頃を描き、『鬼平』と『梅安』はそれに続く時期になっている。
 もうひとつは、舞台の多くが隅田川(大川)近辺になっていることだ。
 これについて、池波は〈私が大川の風物に心ひかれるのは、自分が生まれた土地でもあり、世の中へ出て、自分の金を遣えるようになったころまで、大川を船宿の船で数え切れないほど、行ったり来たりしたからだろう〉(『江戸切絵図散歩』)と述べている。
 先の地図には、作中に登場する人物の自宅や、道場、寺社、料理屋などが載っている。それらは広い範囲に散らばっている。秋山小兵衛は、ときには妻のおはるの操る舟に乗り、ときには歩き、ときには駕籠に乗って、江戸じゅうを動き回るのだ。
 池波は江戸時代の地域別の地図である「切絵図」を参考にして、小説を書いた。私もそれにならい、地図を広げながら『剣客』の世界へと入ろう。
 秋山小兵衛はかつて四谷に開いていた道場をたたみ、六十歳を前に鐘ヶ淵に隠棲する。四十歳年下のおはるを妻とする、気楽な隠居暮らしだ。百姓娘のおはるは料理が上手く、おおらかな性格をしている。シリーズ前半には、小兵衛とおはるがいちゃつく場面がやたらと多い。
 小兵衛は「剣術よりも、この世に生きてあるさまざまな人間のほうがおもしろいわえ」(「三冬の乳房」『辻斬り』)と云うとおり、他人の行動に関心を抱き、事件に首を突っ込む。
 まだ道場を開いていた時期を描いた番外編『黒白(こくびゃく)』で、三十代の小兵衛は自分は「いささか、気が多すぎるようにおもう」と述べ、「日々の一つ一つの出来事へ、自分の心が吸い寄せられてゆく」と感じているから、根っからのお節介焼きなのかもしれない。
 秋山小兵衛のモデルは、十代の池波が株屋で働いていた頃に会った、吉野という老人だったという(「私のヒーロー」『剣客商売読本』)。
 その容貌は、歌舞伎役者の中村又五郎からイメージしたというが、創作ノートには日本画家の前田青邨の写真が貼り付けられていた。
 一方、「巌のようにたくましい体躯」(「女武芸者」『剣客商売』)を持つ息・大治郎のモデルとして、創作ノートには俳優のジェームズ・スチュアートとゲーリー・クーパーの写真が貼り付けられている。
 大治郎は、山城の国の父の恩師でもある辻平右衛門の道場で修行し、江戸に戻ってからは父の小兵衛が、自宅の対岸の橋場に建ててくれた道場で暮らす。その後、老中の田沼意次が催した試合で勝ちぬく。
 田沼が側女(そばめ)に産ませた佐々木三冬は、父への反発から剣術にのめり込み、男装で道場に通う。三冬は小兵衛を通じて大治郎を知り、結婚する。
 何事にも動じないように見える小兵衛だが、息子のことはいつも気にかけている。剣一筋に生きてきた大治郎と三冬は、どこか世間知らずなところがある。まだ結婚する前の二人に、小兵衛が「毛饅頭」という言葉の意味を教える場面は笑える。
 三冬が妊娠していることに気づかない朴念仁の大治郎に、小兵衛は「別の顔を、もっと、いくつも持つようになれ」とさとす。
 また別のときには、こう伝える。
「人の生涯……いや、剣客の生涯とても、剣によっての黒白のみによって定まるのではない。この、ひろい世の中は赤の色や、緑の色や黄の色や、さまざまな、数え切れぬ色合いによって、成り立っているのじゃ」(『黒白』下)
 池波の「押しかけ書生」として身近に接した佐藤隆介は、秋山父子の関係は子どもを持たなかった池波自身の「夢」だったと指摘する(佐藤隆介『素顔の池波正太郎』)。

夢のような生き方

 家族以外にも、小兵衛は多くの人々に囲まれている。
 御用聞きの弥七、その下っ引きの傘屋の徳次郎、辻売りの鰻屋・又六らは、小兵衛を敬愛し、彼の指示に従う。町医者の小川宗哲、剣客の牛堀九万之助も、何かあれば駆け付ける。
 隠居である小兵衛は、拠るべき組織を持たない一介のフリーランスだ。しかし、彼は身分にこだわらない人付き合いのなかで、自然とネットワークをつくりあげている。
 さらに事件を解決した謝礼に大金をもらっても、自分では使うことなく、周りに回してしまう。何か頼むたびに小兵衛がさりげなく心づけを渡す場面が多いが、池波正太郎自身もそうだったという(『素顔の池波正太郎』)。小川宗哲は「あんたは金を手に入れるのもうまいが、つかうのもうまい」(「不二楼・蘭の間」『辻斬り』)と慨嘆する。
 太平が続くと、経済すなわち商人の力が世の中を支配するようになっていく。さまざまな腐敗も金に起因することが多い。しかし、金にこだわらない小兵衛は、いつでも部外者でいられる。五十代半ばになっても、金の心配ばかりしている私にとっては、小兵衛の生き方はまさに「夢」である。

泰平の時代の武士

『剣客』には、タイトル通り、実に多くの剣客が登場する。
 誠実に武芸に励む剣客が多いが、剣によって取り立てられることが少なくなってくると、道を外れてしまう者も出てくる。不思議なことにかえって、彼らのほうが印象に残る。
 たとえば、その異相から「小雨坊」と呼ばれる男は、おはるを殺すことで小兵衛を苦しめようとする(「妖怪・小雨坊」『辻斬り』)。
 また、市中の三か所で女性の陰部などが切り取られるという異常犯罪が起こった。犯人の金子伊太郎は美貌の剣士だが、女へのコンプレックスを抱えており、女を殺すときに激烈な快感を覚えるという猟奇殺人者だ(『白い鬼』表題作)。
 番外編『黒白』の主人公・波切八郎は、小兵衛と真剣勝負をする約束をしていたが、辻斬り魔に堕ちた門弟を斬ったことをきっかけに、刀で人を殺す快感から離れられなくなる。
 このような邪剣について、小兵衛は戦国時代と比べて、こう嘆く。
「わしはな、かえって戦乱絶え間もなかったころのほうが、人のいのちの重さ大切さがよくわかっていたような気がするのじゃ。いまは、戦の恐ろしさは消え果てた代りに、天下泰平になれて、生死(しょうし)の意義を忘れた人それぞれが、恐ろしいことを平気でしてのけるようになった」(「金貸し幸右衛門」『新妻』)
 被害者は「誰でもよかった」という無差別殺人が起きるいまの状況と、どうしても重ねずにはおれない。
『剣客』には、三冬のほかにも、杉原秀という女剣客が登場する。
 父の遺した道場を守る秀は手裏剣の名手で、女らしからぬ風体をしているが、おはるからは「私、このひとのほうが、三冬さまより、ずっと好きだよう」と云われてしまう(「手裏剣お秀」『白い鬼』)。義理の母娘になる前の話とはいえ、三冬がかわいそうだ。なお、秀はのちに鰻売りの又六と結ばれる。
 番外編『ないしょないしょ』の主人公・お福も、奉公した主人から手裏剣を仕込まれる。その主人の友人である小兵衛は、お福に「お前さんの眼のはたらきは、わしよりもよい」と褒める。
 剣客ではないが、「深川十万坪」(『陽炎の男』)の金時婆さんも、武士に体当たりをくらわす大力を発揮する。

「小鍋だて」はたまらない

 先に小兵衛のモデルについて書いたが、もうひとり、池波が挙げているのが、やはり株屋で働いている頃に出会った「三井老人」だった。小さな家に二匹の猫と、若い細君と暮らしていた。
 池波は、彼の家ではじめて「小鍋だて」を見る。
〈底の浅い小鍋へ出汁を張り、浅蜊と白菜をざっと煮ては、小皿へ取り、柚子をかけて食べる。
 小鍋ゆえ、火の通りも早く、つぎ足す出汁もたちまちに熱くなる。これが小鍋だてのよいところだ〉(「小鍋だて」『剣客商売読本』)
『剣客』でも、大根鍋や泥鰌鍋、鴨鍋などが登場する。
 私が思わず生唾を飲んだのは、「老虎」(『辻斬り』)に登場する「鴨飯」だ。
〈鴨の肉を卸し、脂皮を煎じ、その湯で飯を炊き、鴨肉はこそげて叩き、酒と醤油で味をつけ、これを熱い飯にかけ、きざんだ芹をふりかけて出す〉
 いかにも旨そうで、自分でもつくってみたくなる。
 また、『剣客』には橋場の料亭〔不二楼〕、駒形堂裏の料理屋〔元長〕、麻布の蕎麦屋〔明月庵〕、本所の居酒屋〔鬼熊〕など、多くの店が登場する。それぞれの店の雰囲気や店主、料理が見事に書き分けられている。

剣客を書ききった

『剣客』は、田沼意次が老中として権勢をふるった時代を描いている。
 賄賂政治を進めたとされる田沼だが、娘の三冬を通じて小兵衛が接した田沼は、私欲を持たず、百年先の天下を見据える人物だった。田沼に共感した小兵衛は、何かにつけて力を貸す。
 しかし、田沼を追い落とそうとする勢力は強く、1784年(天明4)、若年寄となった息子の意知が江戸城内で刺される。これを聞いた小兵衛は「侍の世は、もう終ったといってよいのじゃ」(『二十番斬り』表題作)と嘆く。
 最終巻の『浮沈』に入ると、小兵衛は体調の不調を覚える。彼は大治郎に向かって「孫の小太郎が、お前の年ごろになるころには、世の中が引っくり返るようなことになるぞ」「わしは、そのころ、この世にはいまいが、この目で、その世の中を見とどけたいような気もする」などとつぶやく。
 そして、翌年の1786年(天明6)、「何やら悪い事が起こるような気がする」という小兵衛の予感が当たり、田沼意次は罷免されるのだった。
 この巻を執筆していた時期、池波は病気を抱えていた。そのせいか、どこか静かな寂しさが漂う。
 池波はインタビューで、この後は小兵衛の孫・小太郎を主人公にするつもりだと話した(池波正太郎インタヴュー「秋山小兵衛とその時代」『剣客商売読本』)。それは本心だっただろうが、その半面、小兵衛が九十三歳まで生きることやおはるが先立つ未来を予告したのは、これで終わりであってもいいという気持ちからだったのではないか。
 私には『剣客』は作者の生涯とともに、見事に完結したように思える。

忠臣蔵の裏表

『剣客』を除けば、新潮文庫の池波作品は長編四十二冊、短編集十一冊、エッセイ集十冊となる。

新潮文庫の池波作品

新潮文庫の池波作品は全長150㎝超!

 池波がこんなに短編小説を書いていたとは、私には意外だった。
 短編小説を書くことは「まことに苦しいのだけれども、短篇小説を書くことからはなれてしまうと、私の場合は長篇を書くときの自信がもてない」と、池波は述べている(『食卓の情景』)。
 以下、江戸時代を扱った作品を、長編と関連する短編をあわせて紹介する。
 まずは、いわゆる「忠臣蔵」をめぐる作品群だ。
 冒頭でも触れた『堀部安兵衛』で、新発田に生まれた安兵衛は父が自死したことから藩を出て、江戸へと向かう。
 高田の馬場の決闘では、相手方に助太刀した中津川祐見と死闘を繰り広げる。激しい斬り合いで、刃の微細なかけらが顔にめり込むという描写は、『剣客』の『浮沈』にも出てくる。
 そして安兵衛は、赤穂藩の堀部弥兵衛の婿となり、吉良邸へ討ち入ることになるのだ。
 この忠臣蔵を裏側から描いたのが、『編笠十兵衛』だ。
 柳生十兵衛の血を引く浪人・月森十兵衛は、幕府の秘命を受けている。将軍・綱吉には、刃傷事件で浅野内匠頭のみを処罰したことへの反省があり、赤穂浪士に吉良を討たせることで「喧嘩両成敗」としようとした(池波はこの説を、大石内蔵助について語った『男の系譜』でも展開している)。
 十兵衛らが、あの手この手で討ち入りが実現するように持っていく過程が、実際の赤穂浪士の動きとともに描かれているのがスリリングだ。
 本作には、幕府から与えられた御意簡牘(ぎょいかんとく)という鑑札が登場するが、『剣客』でも小兵衛が所持している場面がある(「深川十万坪」『陽炎の男』)。
 なお、池波は大石内蔵助が好きだったらしく、長編では『おれの足音 大石内蔵助』(上下、文春文庫)を書いた。短編では、「おみちの客」(『夢の階段』)や「舞台うらの男」(『谷中・首ふり坂』)に登場する。どの作品でも、大石は懐の深い人物として描かれている。

男の終活

 主人公の徳山権十郎が高田の馬場で闘う堀部安兵衛を見る場面からはじまるのが、『おとこの秘図』だ。
 池波は1959年に短編「秘図」(『賊将』)を発表し、直木賞候補となる。それをもとにした本作は1976~77年に『週刊新潮』で連載された。文庫版で全三巻、合計千八百ページと長大で、池波が乗って書いているのが伝わる。
 旗本の家に生まれたが、妾腹のため父に疎まれた権十郎は、江戸を飛び出し関西に向かう。その後、家に戻り、父の後を継いで五兵衛となった。将軍・吉宗の身代わりを務めたことから出世し、火附盗賊改方を拝命する。
 彼の愉しみは、京で出会ったお梶にもらった絵巻物をもとに、夜な夜な男女の秘戯図を描くことだった。描き損じの絵を始末するために右往左往する姿が人間くさい。
 六十歳を超えた五兵衛は、「わしの余生も、もう、長くはない……」と悟り、妻に秘密の処分を託して死ぬ。
 傍からは平穏無事の人生に見える人でも、じつはさまざまな葛藤や秘密を抱えているのだ。五兵衛が過去を回想する独白が挿入されるのも、効いている。『剣客』を除けば、今回読んだ中で一番面白かった。
 秘密といえば、「あほうがらす」(『あほうがらす』)にも、隠していたものを死ぬ前に処分する男が出てくる。
 五兵衛と同じく、旗本の家に妾腹の子として生まれた榎平八郎が、自らの道を切り開いていくのが『さむらい劇場』。平八郎が吉宗にいたずらを仕掛ける場面は痛快だ。

気の強い女性たち

 若くして頭の毛が抜け落ちるという奇病を抱えた堀源太郎の悲喜劇を描くのが、『男振』だ。若殿を打ちすえたことから、死を覚悟した源太郎は、その後、意外な道をたどることになる。
 本作の原型は短編「つるつる」(『あほうがらす』)。また、現代小説の「禿頭記」(『夢の階段』)でも脱毛症を扱っている。池波作品には、痘痕(あばた)などの身体的コンプレックスに打ち克つ人物が多く出てくる。
 自宅に蟄居していた源太郎が、大工仕事を見て「物を造るということは、こういうことなのか……」と思う場面は、職人へのリスペクトを持ち続けた池波らしい。
『男振』の舞台となる北国の筒井藩は、『堀部安兵衛』にも出てくる新発田藩をモデルにしている。『剣客』番外編の『ないしょないしょ』で、同地出身のお福が最後に見る夢は故郷・新発田の盆の花市だった。
おせん』には、さまざまなタイプの女性を描いた短編が収められている。
 表題作の主人公おせんは、身寄りのない老婆と暮らすことになる。次第に心が寄り添っていくなかで、永代橋の落下という惨事が起こる。山本周五郎ばりの人情譚だ。ほかにも、蕎麦しか食べられない特異体質の女(「蕎麦切おその」)、過去にこだわる遊女(「三河屋お長」)、痘痕とともに生きる女(「梅屋のおしげ」)などが登場する。
『剣客』の三冬のような男装剣士の活躍を描いた長編が、『まんぞく まんぞく』だ。敵討ちを誓って修行に励む堀真琴は、料理もできない武骨者だが、ある男と出会って変わってゆく。
 また、『谷中・首ふり坂』の表題作には、薙刀を振り回す妻が夫をいじめる場面が出てくる。どうも、池波作品の女性は気の強いタイプが多いようだ。

敵討ちものの魅力

 池波正太郎は、敵討ち(仇討ち)をめぐる小説を多く書いた。
 初期に書いた「かたきうち」(『谷中・首ふり坂』)は、追うものと追われるものの悲喜劇を描いたショートストーリー。「上意討ち」(『上意討ち』)でも、敵と出会いたくない追手の苦悩が描かれる。
 実在の人物の敵討ちを描いたのが、「荒木又右衛門」(『あほうがらす』)。池波は決闘の舞台となった伊賀上野を訪れ、以前に荒木を描いた師の長谷川伸に教えを乞うている(『食卓の情景』)。
 ほかにも、「女の血」(『おせん』)、「黒雲峠」(『賊将』)がある。
 池波は敵討ちというテーマの魅力を、「討つ方も討たれる方も、絶えず人生の断崖のふちをわたりつつ、逃げて、追って、必死の生活模様を展開するのだし、その状態も多種多様」である点に、執筆意欲をそそられると述べている(「敵討ち」『新年の二つの別れ』)。
 長編としてはほかに、幕府の隠密の活躍を描く『スパイ武士道』、師の遺した秘伝書をめぐる二人の剣士の運命を描く『秘伝の声』がある。

 江戸時代を舞台とした池波作品に共通するのは、泰平によって経済優先となった世の中で、自分らしく生きようとする主人公を描いている点だろう。
 池波は『剣客』の創作ノートに、「人間の誤解、勘ちがいのテーマ 人間の心底のはかり知れなさ」と書いたメモを挟みこんでいる(『剣客商売読本』口絵)。
「徳どん、逃げろ」(『隠れ簑』)では、このテーマが小兵衛の口から語られる。
「人の世の中は、みんな、勘ちがいで成り立っているものなのじゃよ」
「人が人のこころを読むことはむずかしいのじゃ。(略)なれど、できぬながらも、人とはそうしたものじゃと、いつも、わがこころをつつしんでいるだけでも、世の中はましになるものさ」
 黒と白に割り切れない人の心の不思議さこそ、池波が小説を書き続けた原動力だったのかもしれない。
 次回は『真田太平記』などの戦国もの、幕末もの、アウトローもの、そしてエッセイと現代小説を紹介します。


 (なんだろう・あやしげ 編集者/ライター)

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