書評

2026年4月号掲載

賢く、強く、女一匹生きていく

山口恵以子『手配する女』

内藤麻里子

対象書籍名:『手配する女』
対象著者:山口恵以子
対象書籍ISBN:978-4-10-351252-3

 ひどい目に遭って人生転落し、それでも何とか生きていくという物語は数多い。本書の主人公、三矢唯も若くして転落するが、思いもよらぬ逆転人生を歩むことになる。そこにいるのは、こういう物語によくある、愚かながらも生きる女ではない。賢さと強さをもって道を切り開く女だ。その手段は犯罪なのだが、エンターテインメントの仕掛け十分、手練れの業で見せてくれる。
 七十五歳の三矢唯は、東京・大手町のオフィスビルの“掃除のおばさん”だ。しかしその実は、地面師詐欺のグループで「手配師」と呼ばれる役割を担っている。詐欺の舞台となる土地を所有する人物の「なりすまし役」を用意するのだ。ところが今回の案件はとびきりむずかしい。唯と同い年の土地所有者の女性は若い頃、今で言うストーカー被害に遭って、左耳と右手の四指の大半を失っていたからだ。
 台東区にある七百坪を超える土地がターゲットとあって、金額的に最大級の仕事であり、唯にとっては年齢的に最後の仕事でもあった。いよいよその仕込みの顚末に入っていくのかと思ったら、物語は一転、唯の過去に視点を移す。そう、これはいいところのうぶな娘が、一流の手配師になって活躍する物語なのだ。
 1975(昭和50)年、唯が二十五歳になる年から幕が開き、作中では2025年あたりまでの長い時間が流れる。高度経済成長期の余韻やバブル経済とその崩壊、阪神淡路大震災など、時代の変遷を巧みに語りながら、主人公の生きる姿を描き出す。
 そもそも唯は文部省官僚を父に持ち、母は専業主婦、兄は通産省官僚という一家に育った。父の縁故で文部省官僚の天下り先である特殊法人に勤めていた。平凡な日々だったのに、いつの間にやら犯罪に巻き込まれ、そればかりか加担したと言われても仕方ない状況に陥る。父は文部省を退職せざるを得ず、唯は結婚が近い兄のために家を追い出される羽目になった。特殊法人の緩い仕事、天下った元官僚たちのしたい放題の有様や、唯が犯罪に巻き込まれる心情を、当時の男性優先社会に絡めるといった筆のうまさに乗せられて、一気に引き込まれていく。
 やがて地方の温泉旅館で仲居をしていたところを、地面師詐欺グループになりすまし役としてスカウトされる。彼らはケチな案件は狙わないスマートさがあった。人殺しを「素人じゃあるまいし、そんな割に合わないことはやらないよ」と言うような連中だ。さらに地面師詐欺で被害に遭うのは基本的に個人ではなく、不動産会社だ。所有者の土地も奪われるわけではない。だから唯は〈地道でまっとうな生き方〉を捨て、「人生をやり直す」決断をする。
 グループのスマートさと、「普通の意味での被害者はいない」という要素が、このピカレスクロマンからドロドロとした執念や悪意を拭い去る。忌避感なく読ませる効果を発揮している。それゆえ唯の生きる姿を余計な雑音なく堪能することができるのだ。
 慎重かつ大胆な唯のふるまいに、グループのリーダーは使い捨てるには惜しい、手配師としての能力を見出す。利口な唯は、次の案件に備えて人脈を広げるため清掃員として働き出した。清掃員はなりすまし役の候補になる。さらに、ボランティアもして路上生活者も見繕う。それだけでなく、以前の知り合いにも網を張る。これら社会の裏側の描写が一々うまい。例えば、清掃員は「まるで透明人間のよう」で、誰もが無防備にふるまう。だから清掃に入っている会社の人間関係、秘密、経営状況などが手に取るようにわかると説く。そういえば著者は「食堂のおばちゃん」(同名シリーズも刊行されている)として働いていた時期がある。その経験が生かされているのだろうか。そのうえ、これらは鮮やかに後の展開につながっていく。
 唯が強さを身にまとっていく経過も読ませる。清掃員もボランティア活動も、最初は役割を全うするための手段だったが、徐々に生きていく使命感のようなものを生じさせる。その核にあるのは「人助け」という意識だ。唯は困っている人たちを助けるある種“義賊”的な意味を見出す。そのうえで、自分を追い出した家族への思いを描くことで、強くなった唯を印象づけ、その裏に虚無すら漂わせてみせるのだ。
 さて、詐欺グループは次々と案件を手がけていく。上目黒の四百坪、阿佐ヶ谷の二百坪、白山の百五十坪……。しくじりもないではないが、唯は順調な仕事ぶりを見せる。そしていよいよ冒頭で紹介した難しい案件に挑むことになるわけだ。これまで歩んで来た道から伸びた糸が一気に絡み合い、怒濤の展開を見せる。なんとミステリーとしての面白さも潜んでいる。
 終幕の唯の姿にはやすらぎと、若干の寂寥感がある。しかし女一匹、こうして生きていくのは上等ではないか。自らの足で立つ女の姿に、何やら底力が湧いてくる。としたら、これはピカレスクの形を借りて私たちを励ますおとぎ話といえるかもしれない。

(ないとう・まりこ 文芸ジャーナリスト)

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