書評
2026年4月号掲載
傷を抱えて走る
有賀未来『あなたが走ったことないような坂道』
対象書籍名:『あなたが走ったことないような坂道』
対象著者:有賀未来
対象書籍ISBN:978-4-10-356661-8
傷が痛むのは、何かに触れるからだ。何の摩擦もなければ、その傷はたぶん痛くない。何かと何かの間、〈境目〉にあるからこそ傷は痛む。境界線に触れるから痛い。けれどひりひりと痛む傷を抱えてでも自分が居なければならない場所がある。そこに居るからこそ、自分の輪郭がよりくっきりと一番きれいに世界に映えるのだと感じられることもある。その思いにはきっと強い力がある。
語り手「あたし」こと黄星瑶は香港で生まれ日本で育った高校生。血の繫がりの無い養父母である阿姨も爸爸も香港人。それなのに日本語で育てられた星瑤は広東語が喋れない。広東語を話せない香港人なんていないと言うと「あんたはもうずっと日本にいるから日本人でしょ」と返される。けれど星瑤のパスポートには中国と香港と書いてあって、黄緑色の在留カードを持ち歩かなければならない。国籍を言うなら中国人ということになる。けれど星瑤は香港という場所へのこだわりを捨てることができない。
香港には西洋列強が世界を侵略する中でイギリスへ割譲されていた歴史がある。それが1997年に中国に返還された時、中国政府は50年間、香港体制に干渉しないという「一国二制度」を約束した。しかし2020年に国家安全維持法が適用され、事実上「一国二制度」は有名無実化した。そのことに反対した市民がデモを行ったというニュースは記憶に新しく、本作の中にも描かれている。星瑤はTwitterで流れてきたデモの動画を布団の中で何度も見ていた。香港にルーツを持ちながら、広東語ができない星瑤にはデモに参加する人々が持つプラカードの言葉の意味がわからず、画面の中で同じ方向を見ている人々と同じ景色はきっと見えない。それでも香港のデモが活発化していく中で「黄ちゃん、って香港から来たんじゃなかった? 大丈夫なの?」と言われる機会が増えて、それまであいまいだったナショナリティが自分にはコントロール不能な巨大な力によって「香港人」になっていくという経験をする。個の内面の揺らぎと香港の「一国二制度」の揺らぎが巧みに重ね合わされて描かれた作品だ。
「春はあけぼの」という枕草子の一節に共感した星瑤は、さらに「夏も秋も冬もあけぼのがいい」と思っている。朝と言えるほど明るくはなく、青の中に灰色が混じっているような、夜と朝の〈境目〉の時間。その瞬間がとても印象的に描かれていて、まだ暗いうちに家を抜け出して自転車を走らせ、夜明けに向かっていく場面が本当に切実で、尊くて、自転車のタイヤをピザカッターに喩えて地平線と垂直に線を引いていくように地球を真っ二つに切りたいなんて想像しながら、ただひたすらどこまでも真っ直ぐに走って行けたらいいのにと思うその瞬間の鮮烈さ。語り手の全身全霊の疾走に心を打たれずにはいられない。私もどこかそんな坂道を走ったことがあったんじゃないだろうか。ただがむしゃらに自分の気持ちに答えを出そうとして、走ったことがあったんじゃないだろうか。
何者でもない、どちらでもないものとして存在していたいと思っても、世界や国境は残酷であって、どちらかを選び属さなければならない局面がある。高校生の星瑤はまだその残酷さを受け入れられなくて傷つく。国境というものは人間を殺し得るのだと思う。人間が生きるために必要だと思って作り出した制度で人間が死んでいく。境界線に接する場所には痛みがある。そして星瑤はずっとそんな境目の場所にいる。それはどこのことだろうと思って地図を見ても〈自分の居場所〉なんか表示されていない。その場所を表す言葉はあるのだろうか? もしかしたら、星瑤はその言葉を見つけたいんじゃないだろうか。ある日突然キスをしてきた、なおとの間にあるのは恋なのか友情なのか? Where am I from? 私はどこから来たのだろう? 星瑤は切実に問い続けながら、友人のなおと交わす言葉は自分の言葉だと信じている。教室で正論を言う授業とクラスの喧騒を透明になった体に通過させながら、境目の時間を生きている。ここじゃないどこか、数えきれないほど何億光年も遠くへ向かって、誰も走ったことないような坂道を走っていけそうな文章の勢いと、ユーモアを交えた軽やかな文体が魅力的な作品だ。世界の狭間で痛みを抱えながら、言葉を重ねていった先に辿り着くのはきっととても広々とした明るい場所であると私は信じている。
(くず・ひろき 作家)




