書評

2026年4月号掲載

底のない自由

横尾忠則『運命まかせ』(新潮新書)

鷲田清一

対象書籍名:『運命まかせ』(新潮新書)
対象著者:横尾忠則
対象書籍ISBN:978-4-10-611115-0

 この本を読みながら、はじめて言葉を交わした日のことを思い出していた。朝日新聞の書評委員会で、たまたま横尾さんのとなりの席が空いていたので椅子を引くと、足下に銀色の光を放つシューズが見えた。「すてきな靴ですね」と、目を合わせるより先に言葉が出た。
 絵を描くときにはとにかく頭を空っぽにして、まるでアスリートのような「肉体的興奮をおぼえ」ながら筆を走らせると、横尾さんはこの本で書いているが、あの銀色のシューズには横尾さんのそんな意志がのぞいていたと、なんだか腑に落ちるような気がした。もの書きは横たわるといいアイディアが浮かぶようだが、絵描きは立っていても筆の思考に没入できるらしいと、ふとおもったのだ。
「絵を描くことは心の中で行方不明になった『何か』を探す行為だと思うのです」とも横尾さんは書く。絵を描いていくうちに絵具の層がだんだん厚みを増してくるが、それはいってみれば、ああでもないこうでもないという「思考の迷いの層」であって、だから描き終えて筆を置くというか、キャンバスから引き下がるのも、絵が「完成」したからというより、「描く限界に達して、描くことに飽きた」だけの話だというのである。
 だが、それで話は終わらない。飽いたあと、気力、体力ともに「よれよれ」になったあとに、そこに何を見届けるか、それからが勝負だというのである。そんなふうにいえばさぞかし「つらい」仕事とおもわれるかもしれないが、そこに芸術家の「幼児性」というのがあって、子どもとおなじで、何でも遊んでしまう、どんな環境も遊びの場に変えてしまう。努力などしないのである。そんな身軽さの中へじぶんをたゆたわせつつ勝負に出るのだという。
 なるほど、おもしろい。でもそのスタンスはどこから来るのか。
 横尾さんはじぶんが幼いときに伯父の家に養子に出された。つまりよそ(余所と書くべきか)の子になった。じぶんの人生は人が決める、しかも甘やかされて、右のものを左に動かすのまでまわりがしてくれる、そんな想いを人としての心が生まれる前に植えつけられたという。それからは生来のめんどくさがりもあって、人に流されるままに生きてきたと。
 そういわれてもにわかには信じられない人は多いはずだ。1950年代から今日まで手がけてきた夥しい数のデザインやイラストレーションの仕事、最近だと《寒山百得》の大作のシリーズやコロナ禍の下で毎日配信されたスターの肖像などの集中的制作に取り組むだけでなく、それと並行して小説やエッセイ、さらに日記も書き続け、一年に何冊も新刊を世に問うさまを見せつけられれば、「飽きる美学」といわれても、ここでのように「運命まかせ」といわれても、なかなか想像が追いつかない。いったい何に身をゆだねているのかと。
「運命」と対決するというより、予測はできず、なるようにしかならないという事態に身をまかせてしまうのだと、横尾さんはいう。「しゃーないやんケ」「ドンマイ、ドンマイ」。主体性がないとか、優柔不断だとか、白黒がはっきりせず曖昧だとか、諦めが早すぎるとか、「大人になりたくない症候群」だとか、こういう「宿命」的な性格の中にこそ「自由」が見つかるかもしれないと。マイナス×マイナスがプラスになることは中学で習って知ってはいるが、そのからくりはこうしたイメージを与えられてはじめて解る。
 基準をまったく別のところに立てるということが大事なのだ。そう考える横尾さんは、絵の中に、およそ「美」術の要素に反するものをどんどん並べ立ててきた。文章にしても、モチーフはない、とくに書きたいことがあるわけではないとしながらも、限りも知らず書きつづけてきた。
 何かに身をゆだねられるのは、それだけ身を軽くしているから。これほどに絵具と言葉を費やしてはじめて自由になれるというのは、だから横尾さんのいう自由ではない。自由は目的ではない。何に駆られてか、絵や文へと筆がたゆまず走る、それが横尾さんにとって自由の現実態なのだろう。
 この自由の現実態につられて、わたしたちはついいろいろに連想してしまう。思考を停止し、脳を空っぽにして、すばやく筆を走らせ、「こんな絵ができました」と差しだす横尾さんなら、子育ての現場について意見を求められれば、きっとこう言うだろう(いや、口にするはずもないか)。──子育てで大事なのは、育てる方法ではなく、そこにいれば子どもが勝手に育つ、そんな環境を用意しておくこと、そして「こんなふうに育ちました」と言えることだと。
 あるいは、モチーフなんかなしに朦朧としたまま世界と対峙するという横尾さんなら、他人と向きあうときもきっとこんなふうに聴くのだろう。──(これは河合隼雄さんがわたしに語ってくれたことだが)他人の苦しい心の内に耳を傾けるときには、その言葉から何かを摑むんじゃなくて、「ふわーっと」「ぼーっと」聴くのが、全体をとらえるには大事だと。
 ことほどさように、この本は「自由」の底知れなさに読む人を向きあわせる。

(わしだ・きよかず 哲学者)

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