書評

2026年5月号掲載

『もうひとつ、いいですか?』刊行記念特集

「オタク語り」の向こう側

三谷幸喜・ペリー荻野『もうひとつ、いいですか?』

ヒャダイン

対象書籍名:『もうひとつ、いいですか?』
対象著者:三谷幸喜・ペリー荻野
対象書籍ISBN:978-4-10-356811-7

「オタク語り」という言葉がある。自分の脳の回転数の赴くままの早口で余白を切り詰めた内容を流れる滝のごとくとめどなく喋り放つ。当然それは専門外の人々にとって意味不明な内容であるし、眼を血走らせながら唾を飛ばして熱弁する様子は嘲笑の対象にもなる。自分の「好き」を説明しているだけなのに笑われるのは多少なりとも傷つくことであって、自分の知識は自分の中だけに留めておこう、という悲しいリミッターを自作するのが大人になることだと思っている。そもそも「オタク語り」なんていうけれど、自分のことをオタクだとは思っていない。好きなだけ、詳しいだけだ。釈然とはしない。
 三谷幸喜氏もきっと人生で何万回も奇異な目で見られていたことだろう。好きなことをシェアしたいだけなのにテンポが合わないことがもはやデフォルトだったのだろう。しかし同世代であるペリー荻野氏との会話は小気味いいほどにBPMが同じ。いや同じどころか互いの返答でどんどん加速していきバラードだったものが最後は高速パンクロックを聴いているような感覚になる。正直なところ私はお二方と世代が違うのでほとんどの内容は知らないし共感もできない。しかし読んでいて楽しくて仕方ない。とんでもない熱を持った知識の応酬はなぜか見ていて楽しいのだ。ペリー氏「私たちは考察でも蘊蓄でも自慢でもなく、言いたいことを口にし合ってるだけなんだって」、三谷氏「これまで話すチャンスのなかったことを、ひたすら吐き出しているに過ぎない」。この会話に全てが凝縮されていると感じた。「オタク語り」は相手より知識マウントを取る為のバトルでもなければ、題材を研究して理解を深める生産性のある行動でもない。ただ吐き出すだけなのだ。独りで抱えていた無数の点を、相手も同じく独りで抱え続けた点と繫げることで線にして、自分の中でさらに強度の高い「好き」に昇華させて固定させる、偏愛強化行動なのだと思う。
 しかし本書がただの「オタク語り」の実録に終わらない箇所が二つあると私は思う。一つは文化のサルベージとアーカイブ、もう一つは三谷幸喜という類稀なる才能の解剖書である点だ。
 彼らが黄金期と評する1973年の文化を中心に、メインストリームだけをさらった歴史まとめでは絶対に拾い上げられない細かい文化的重要事項がおさらいされている。映画やドラマは作品として残るがテレビのバラエティ番組は流され消費され忘れ去られてしまう。現代ですらTVerでの見逃し配信があるくらいで、DVDなどで後世まで遺されるバラエティ番組は氷山の一角だ。どんなに視聴者の心に影響を与えようと消費物として流されていってしまう。したがってそのインパクトを事実として固定させ続けるには記憶して口伝していくしかない。衰えていく記憶を明瞭に、そして勘違いや覚え間違いを修正するのに会話は大変重要なのだ。三谷氏、ペリー氏から放たれる王道ではないエンタメの数々、そしてそれを彩った個性的な演者の面々の詳細を記した本書は文化アーカイブとして大切な資料だと言えるだろう。
 そして三谷氏の創作への動機が非常にわかりやすく解説されている本だとも感じた。「僕の人生は、小学生の時にインプットされたものを再現するためにあるようなもの」と三谷氏は自己分析している。これは私も表現者の端くれとして非常に共感した。自分の人生を形作ったもの、何よりも夢中になったエンタメ、当然だが時代とともに同コンテンツの供給は断たれる。永遠に続く作品は存在しない。しかし三谷氏はその当然の摂理に抵抗したのだ。「供給されないのなら自分で作ればいい」。同人誌を作る方々と同じ発想である。私の話で恐縮だがニコニコ動画にゲームのリミックスを投稿したりアイドルやアニメに楽曲を作るのも全く同じ発想だ。自家発電、職権濫用、公私混同。三谷氏は語る。「完全に趣味の世界に生きているな。正直言って、世間の評価はどうでもいい」。嗚呼、なんて強くてブレない価値基準だろうか。我々視聴者は三谷氏の一人遊びを傍観させてもらっているだけなのだ。彼の一番の客は彼自身であり、我々第三者の優先度なんてかなり低いのである。「お客様は神様だろうが!」精神の方は不快に思うかもしれないが変えようのないことだし、実際それで素晴らしい作品が数々生まれているのだからそこに「視聴者の声」というノイズを届けるのはもはや迷惑行為だと私は思う。
 とあるコンテンツに関して三谷氏は「なんで僕は好きなんでしたっけ。ペリーさんなら分かるはず」と自分の「好き」の理由を他人に尋ねた。もちろんペリー氏は明快に答えるのだがこの時点で三谷氏はペリー氏を他者ではなく自分自身として話しているのだと感じた。実際「前世は同じ人」と三谷氏も評している。本書の会話もまた三谷氏の一人遊びなのかもしれない。そしてそれを実現させたペリー氏の知識量も見事だ。他者を通した一人遊びからしか得られないものがあると改めて実感、私も盟友の中川翔子さんを呼び出してセーラームーンやドラクエについて夜通し語りたくなった読後感である。「好き」の熱でアチアチの良著だった。

(ひゃだいん 音楽クリエイター)

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