対談・鼎談

2026年5月号掲載

芥川賞受賞記念特別企画

往復書簡「先生とわたし」【後篇】

若島正 × 畠山丑雄

師弟による往復書簡、その最終便はついに芥川賞受賞作『叫び』論になります。主人公が敬慕する「先生」の説教よろしく自在に時空を超え、師は「小説を読むこと」の本質をも解き明かしてみせます。受けて立つ「わたし」は師の専攻であるナボコフで打ち返し……ユーモラスかつ馥郁たる文藝の香りに酔い痴れてください。

対象書籍名:『ロリータ』/『叫び』/『ナボコフ・コレクション 賜物 父の蝶』
対象著者:ウラジーミル・ナボコフ 、若島正 訳 / 畠山丑雄 / ウラジーミル・ナボコフ、沼野充義 訳、小西昌隆 訳
対象書籍ISBN:978-4-10-210502-3/978-4-10-356751-6/978-4-10-505609-4

 畠山丑雄様

 いまから二年前、能登半島地震があった年のことです。NHKのニュースを見ていたら、「彼岸の中日 被害受けた寺で墓参り」のキャプション付きの映像が流れていました。どこの寺だったか、墓石の多くが横倒しになっているなかで、画面の中央に「若島家」の墓石が他の墓石にもたれかかるようにして映っていたのです。「若島」という名前は比較的珍しいとはいえ稀少というほどでもなく、明治の相撲力士に若嶌権四郎という横綱がいたくらいですが、それはともかく、わたしの苗字のルーツが北陸にあることは子供の頃からぼんやり知っていました。
 調べてみると、「若島」は富山県内で局所的に偏在する姓らしく、特に下新川郡入善町に多数存在し、異体字の「若嶋」も同地域に分布していることがわかりました。「島」は村落内部の小区画を表す言葉でもあり、おそらくは地名を起源とする苗字の可能性が高そうです。わたしが子供の頃、北海道の親戚だという人が訪ねてきたことがあります。明治後半から大正にかけて、北陸地方から北海道へ海路で渡った人は数多く、北海道の親戚もそのうちの一人だったはずです。かつて、札幌のすすきのに「若島ビル」という雑居ビルがありましたが、そのオーナーも遠い親戚だったに違いありません。
 富山とのつながりを考えていると、自然と思い出されるのは、小学校の五年生だったときに、松本清張の『ゼロの焦点』を読み、それから当時カッパ・ノベルスで出ていた清張をぜんぶ読んだ記憶でした。ご存知のとおり、『ゼロの焦点』のクライマックスの舞台になっているのは、能登半島の志賀町にある「ヤセの断崖」と呼ばれる断崖絶壁で、幸いなことに地震による大きな形状変化は免れたようです。『点と線』ではありませんが、ばらばらの点が知らないあいだに線で結ばれ、思いもよらないネットワークを脳内で形成してしまう、それこそが生きることのおもしろさであり、意味ではないかと思っています。
 こんな無駄話を長々と書いてしまったのは、他でもない、『叫び』の書き出し、「土地の名があって、それから人の名があった」という一文に触発されたからです。『叫び』について、銅鐸、聖、罌粟、満州、万博、天皇という話題のとりとめなさに戸惑う意見も散見されますが、わたしにとってはその点と線のありようこそがおもしろい。そのつながりは、畠山くんにとってただの思いつきを超えた、個人的な意味があったはずです。暗い穴の先を進んでいくと、思いがけない場所に連れ出されてしまう、それが畠山くんの小説に一貫して流れるモチーフではないかという気がします。
 銅鐸が立てる音が、念仏に、そして叫びにつながる。あえてメタ読みをするならば、小説という形になった本は銅鐸のようなもので、べつに音は立てない物質ですが、そこに作者の「叫び」を聞き取ることが、小説を読むということなのかもしれません。ここで勝手なつながりを一つだけ付け加えておくと、『叫び』に出てくる「先生」は若い頃、統一直後のベルリンに数年滞在していた経験があり、「ベルリンは鐘がずっと鳴っとったわ」と言いますが、わたしというもう一人の「先生」はこの夏、ベルリンに一週間ほど滞在する予定で、かつて亡命者として暮らしていたナボコフの足跡をたどり、そこに何かの音が聞き取れるか、考えてみるつもりです。
 ここまで書いてきて、ようやく思い出しました。先日、芥川賞受賞のお祝いで飲んでからカラオケをしたとき、畠山くんが真っ先に歌ったのは、たしか和田アキ子の「あの鐘を鳴らすのはあなた」でしたね。妙なチョイスだなあとあのときは思ったのですが、そういうことだったのか、といまになって腑に落ちました。これからも畠山くんが鐘を鳴らしつづけることを期待しています。

若島正 

 若島正様

 ナボコフとベルリンというとやはり『賜物』でしょうが、これは粗忽なナボコフ読者を自任する私としても、大変面白く読めたのを覚えています。主人公のフョードルはチベットへ探検旅行に出かけたまま行方不明になった父キリーロヴィチを追い求め、父から直接聞いた話や、その著作、あるいはプーシキンの紀行文などをちゃんぽんにするように夢想して、その夢想の中へ自らを密輸し、果ては父との同化を試みます。このフョードルとキリーロヴィチの父子関係と、それに重ね合わされるナボコフ自身の父子関係の二重写しに倣うかのように、若島先生が『叫び』における「先生」との二重写しを事後的に演じに行くような、自らフィクションと現実を取り違えに行くような、厚顔な錯覚に囚われ、嬉しい眩暈を覚えました。
 フョードルが最後にグルーネヴァルトの森の奥で、裸で陽光を浴び自身が溶けていくような恍惚を覚え、その後の夢の中で父と抱擁し、氷のような心臓が溶けていくのを感じたように、先生もベルリンでナボコフと抱擁できることを期待しています。ベルリンからのエアメールも楽しみにしています。どうか恍惚のあまり森の奥で裸にならぬようご注意ください。
 先生のルーツについての話、大変面白く拝読しました。ふと思ったのですが北陸から北海道へ渡った人のように、ロシアに渡り根を張りなおした若島ワーシャ一族もおられるかもしれませんね。それはそれとして、下新川郡入善町という地名に見覚えがあり、何だったかなと考えていたのですが、ようやく思い出しました、今の仕事で能登半島地震の被災地域に納税猶予の通知を送った際に目にしたのだと思います。若島一族のもとにも、私が作成した通知書が届いていたかもしれないと考えると、不思議な縁を感じます。
 今の職場では年間で何万通という通知書を送っているので、当然ながら誰に出したかは覚えていません。しかし時折何度住所を調査して通知書を送っても郵戻りdead letterになり、最後には継続調査案件になってしまう人もいて、そういう人のことはよく覚えているものです。
『賜物』ではフョードルの父がチベットから最後に手紙を寄こしたのは1918年初頭のこととあります。手紙では「夏までには帰宅できるものと見込んでいる」と書いていましたが、結局帰ることはなく、父はフョードルにとっての継続調査案件になります。
 先生にとってのナボコフもきっと継続調査案件なのでしょうが、それとは別に、あるいは重なり合い、混じり合うかたちで、ぜひ自伝を書いてみてほしいです。もし先生の自伝が読めるようになれば、私はその文章中に自らを密輸し、夢想に遊ばせてみたいと思います。
 と、ここまで書いていてどうこの手紙を締めくくろうかと考えたのですが、うまく思いつかないので、一旦の別れのご挨拶代わりに、私のお気に入りの『賜物』の最後の詩を載せておきます。

 さらば、本よ! 幻影たちもまた
 死を猶予してはもらえない。
 ひざまずいていたエヴゲニーが立ち上がっても
 詩人は立ち去っていく。
 それでも耳はすぐには
 音楽と別れられず、物語を
 鳴りやまらせることもできない……。運命がみずから
 まだ響き続けているから……。そして
 注意深い頭にとっては、私が終止符を
 打っても終点にはならない。
 延長された存在の亡霊が
 頁の地平線の彼方に
 明日の雲のように青くたなびく──
 そしてこの行も終わることはない。

(ナボコフ『賜物』、新潮社、沼野充義訳より)

畠山丑雄 

(わかしま・ただし 京都大学名誉教授)
(はたけやま・うしお 作家)

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