対談・鼎談
2026年5月号掲載
今月の新潮文庫 『養老先生、病院へ行く』文庫化特別対談
養老先生、病院へ行く! 病院嫌いの養老先生が 26年ぶりに!?
養老孟司 × 中川恵一
対象書籍名:『養老先生、病院へ行く』
対象著者:養老孟司・中川恵一
対象書籍ISBN:978-4-10-130845-6
中川 養老先生は東大医学部の教授だったのに、病院嫌いなことで有名ですよね。
養老 「現代の医療システム」に巻き込まれたくないからね。このシステムに巻き込まれたら最後、タバコをやめなさいとか、甘いものは控えなさいとか、自分の行動が制限されてしまうから。自由気ままな野良猫から、きゅうくつな家猫にされるようなもんですよ。
中川 そんな養老先生から、教え子であり東大病院に勤めていた私に受診の相談があったのは、2020年6月のことでした。
養老 その二週間ほど前から、なんだか調子が悪くてね。一年間で十五キロほど体重も落ちていたし。とくに受診直前の三日間はやたら眠くて、猫のように眠ってばかりだった。
中川 体重が急激に落ちているということだったので、糖尿病か、がんを疑いました。そして受診日当日には、CT、血液検査、心電図を行ったのですが……。
養老 検査が終わり、待合室で妻や秘書たちと「帰りには御茶ノ水の山の上ホテルで食事でもしようか」なんて話していたところ、中川さんが血相を変えてやってきた。
中川 心電図と血液検査の結果、心筋梗塞を起こしていることがわかったんです。循環器内科の先生にお願いして、緊急カテーテル検査をしました。同時にステント治療も行い、詰まっていた血管を広げ、ステントを挿入して血管が詰まらないようにしたんです。
養老 そのあとは、ICU(集中治療室)に二日間ほどいた。治療のときからICUにいるあいだ、お地蔵さんが並んでいるのが見えました。一体ずつ、こちらにむかってくるんだよね。意識がぼんやりしていたから幻覚だったんだけど、あのお地蔵さんは、もしかしたら阿弥陀様のお迎えだったのかもしれない。
中川 あのときは、本当に一刻を争う事態で、もし処置が数日遅れていたら、心臓の血管が完全に詰まっていたかもしれません。受診のタイミングとしてはギリギリだったと思います。
養老 治療後、中川さんから「医療に対する考え方が変わったのでは?」と聞かれたので「何も変わってはいない」と答えました(笑)。でも、二十六年ぶりに受診した東大病院の医師や看護師の対応がよかったのには感謝しています。ずいぶん変わりましたね。昔の東大病院の医師はもっと偉そうだった。
中川 その後、養老先生はほぼ三か月おきに東大病院で定期検診を受けられるようになりました。そして、2024年の4月に肺がんが見つかった。
養老 前の年くらいから肩こりがひどくなったんだよね。そのうち背中まで痛くなってきて「これはただの肩こりじゃねえや」と。
中川 がんだと判明したあと、養老先生から「肺の方はとくに完治は望んでいないので、テキトーにやってください」というメールをいただきましたが、いかにも先生らしいなと思いました。そして、まずは抗がん剤治療がスタートしました。
養老 あのときは、二週間後に北鎌倉の建長寺で「虫塚法要」が行われることになっていた。これまで標本をつくるためにたくさんの虫の命を奪ってきたから、その供養のために十年ほど前から始めたんだけど、この法要には何としても参加したかった。「リモート」でもいいのではともいわれたけど、亡くなったものたちへの供養がリモートっていうのは納得いかなくて。
中川 這ってでも行こうと思う、とおっしゃっていましたものね。退院は、虫塚法要の前日でした。抗がん剤治療は計四回行い、その後の放射線治療は、私自身が担当しました。
養老 放射線治療は外来ですんだから、入院よりは楽だったね。
中川 放射線の照射は一回あたり数分間なのですが、一日二回、朝と夕方だったので、いろいろご苦労をおかけしました。平日は毎日行い、これを三週間続けました。
養老 放射線治療が終わるころ、ようやく背中のつらい痛みが消えて、本当に助かったよ。
中川 その後の経過は順調だと思ったのですが、翌2025年の3月に、反対側の肺に異常が見つかり……。
養老 がんに再発はつきものだし、自分では完治したとは考えていなかったから。それに、がんは自分の細胞が変異したもので、いわば自分の一部。体内に「悪いものができた」というよりも「自分の子どもが悪さをしている」くらいに思いました。
中川 「がんと闘う」という人がよくいますが、養老先生の場合、「がんと折り合いをつける」というような姿勢を感じます。
養老 治療を通して、今まで知らなかったことが経験できるのはおもしろいよね。おもしろさを感じられるうちは、病院に行ってもいいと思う。
(ようろう・たけし 解剖学者)
(なかがわ・けいいち がん治療専門医)



