インタビュー
2026年6月号掲載
「日本とは何か?」フェア特別インタビュー
対話的な読書のすすめ
対象書籍名:『「維新革命」への道―「文明」を求めた十九世紀日本―』(新潮選書)
対象著者:苅部直
対象書籍ISBN:978-4-10-603803-7
──今年のフェアのテーマは、「日本とは何か?」です。高市政権の誕生や参政党の躍進の背景には、保守的な思想やナショナリズムの高まりがあるのでしょうか?
ちょっと違う見方をしています。昨今の選挙結果は、旧態依然としたリベラル勢力が国民から見捨てられたことを示しているだけで、保守思想やナショナリズムが蔓延しているからそうなったわけではないでしょう。現状変更への期待が、高市首相や参政党、チームみらいへの支持へと向かったのだと思います。
しかしそれとは別に、「日本とは何か」について関心が高まっているという印象を、ふだん持っています。ナショナリズムというよりも、もっと日常生活に即した感覚ですね。社会のグローバル化が進んで、ビジネスでも個人的な生活のなかでも、外国人と接する機会が多くなった。そうするとたとえば、外国人から日本の文化や歴史について質問されたときに、うまく答えられないと気づく。そうした実生活上の関心に根ざした意識ではないかと思います。ビジネスパーソンの方から、「日本について関心はあるけれど、よく知らない」という述懐を伺うことは多いです。
そういう声が出るようになる原因の一つは、学校教育のカリキュラムでしょう。いま、高校では「歴史総合」が必修科目なので、日本の近代史は多くの人が学んでいますが、政治史・外交史・経済史が中心ですから、思想や文化については知識が手薄になる。また、それ以前の時代に関しては、選択科目の「日本史探究」や「倫理」を受講していないと、知る機会がない。大半の大人が、日本の思想や歴史に関する知識は中学生レベルのまま、海外の実務家と交流したりしているんですね。
そういう人が「日本とは何か」について学び直そうとするときに、今回のフェアのラインナップは役に立つのではないかと思います。
──苅部さんの『「維新革命」への道―「文明」を求めた十九世紀日本―』も、江戸時代から明治時代にかけての思想を学び直せる内容ですね。

江戸時代の荻生徂徠・本居宣長から、明治時代の福澤諭吉、竹越與三郎まで、多くの思想家の言説をとりあげた本ですが、高校教科書に載っていたり、大河ドラマのあらすじの元になっていたりする歴史のストーリーとは、異なる見かたを提示しようと試みたものです。
世上に流布する歴史の語りではしばしば、日本の近代化の特色について「和魂洋才」と表現されます。思想やモラルは旧来のものを保ったまま、法制度や科学・技術を西洋から摂取したというイメージ。しかし、「和魂洋才」という言葉は明治の末になって登場するものですし、明治初期の知識人はそんなことを言っていません。
これに対して『「維新革命」への道』では、すでに江戸時代に思想面での「文明」化が進んでいたという歴史像を提示しています。
──日本の思想が特殊な発展を遂げていたからこそ、西洋以外で唯一、近代化に成功したわけですね。
特殊な発展というより、西洋と響きあうような普遍的な要素が育っていた。
かつて1980年代、1990年代の日米貿易摩擦の時代には、日本特殊論が大流行していました。エズラ・ヴォーゲルの『ジャパン・アズ・ナンバーワン』、カレル・ヴァン・ウォルフレンの『日本/権力構造の謎』『人間を幸福にしない日本というシステム』など、特殊性を強調する本が出て、『ザ・カミング・ウォー・ウィズ・ジャパン』なんて物騒な本もあった。そのせいで、日本人自身も自分たちは特殊だと思い込みを強める傾向がありました。
しかしその後、日本のマンガやアニメが当たり前のように海外で流行するようになりました。また日本人も海外のドラマを手軽に鑑賞しています。若い世代にとって、「日本が特殊だ」という指摘はぴんと来ないでしょう。日本が確かに特殊だとしても、それを言うならアメリカも中国もそれぞれ特殊だろうという感覚になっている。
そのような時代の変化の中で、日本だけが特殊だと見なす色眼鏡を取り払った上で、素直に十九世紀の日本の思想史を見直してみると、当時の日本人は、むしろ伝統的な価値観に基づきながら、西洋の文化のなかに普遍的な意味を見いだし、それを「文明」と呼んで享受しようとしたことがわかります。その延長線上に、民主主義や法の支配といった思想・制度の受容があった。
黒船の圧力によって、仕方なく「洋才」を学んだわけではありません。むしろ伝統的な思想に立脚しながら、西洋の「才」と「魂」の両方を高く評価したからこそ、日本は近代化に成功した。
──しかし、「普遍的価値」も近年は急速に勢いを失いつつあるように見えます。
「普遍的価値」が危機に瀕しているとは思わないんですね。欧米諸国でも、完全なリベラル・デモクラシーを実現できた国など存在しない。めざすべき社会の理想としては、その重要性を否定するのは今でも難しいでしょう。
むしろ現代は、近代の「文明」の長所と短所を冷静に見きわめ、その良い部分を、どうやってさまざまな文化圏に定着させるかについて、考え直すチャンスです。十九世紀日本の経験は、そうした思考の材料として重要だと思います。
日本を考える多様な視点
──今回のフェアでは、苅部さんの本の他にも思想史の本が多く入りました。いずれもロングセラーですが、思想史という一見マイナーなジャンルが日本ではなぜよく読まれるのでしょうか?
思想史研究は、学界では専門家の少ない分野ですが、戦後日本の読書界では、結構メジャーなんですね。それは明らかに丸山眞男の影響で、『日本の思想』(岩波新書)は、刊行後六十年以上たっても読まれています。社会学者の竹内洋さんは、中公新書の『丸山眞男の時代』の中で、政治思想史はちょうど人文学系と社会科学系の接点になるので、教養書としては最強のジャンルだと指摘されています。「日本とは何か」という問いに関心が高まっている現在、日本政治思想史の本がよく読まれるのは当然なこととも言えるでしょう。
たとえば先崎彰容さんの『未完の西郷隆盛―日本人はなぜ論じ続けるのか―』は、西郷隆盛という人物を直接論じるのではなく、福澤諭吉から司馬遼太郎まで六人の思想家・作家を並べて、いかなる西郷イメージを世に提供したかを分析している。西郷論の歴史から、近代日本人の精神史を改めてたどり直している試みです。

もちろん、「日本とは何か」という問いについては、思想史以外の視角から検討することも重要です。
川添愛さんの『ふだん使いの言語学―「ことばの基礎力」を鍛えるヒント―』は、日本語という切り口から「日本とは何か」について論じているという読み方もできるでしょう。私たちはどのように「は」と「が」を使い分けているのか。どういう時に「不自然」な日本語だと感じるのか。ふだんは特に意識しないで使っている日本語の中に、じつは複雑な文法構造が隠されていることがわかる。そして、そこから私たちの考え方の癖を知り、意外な側面を発見することもできるでしょう。
あるいは、巽好幸さんの『地震と噴火は必ず起こる―大変動列島に住むということ―』。マグマの研究者の方が書かれた本ですが、専門的な地球科学の本が選書という一般書の形で刊行されているのは、やはり日本人が阪神・淡路大震災と東日本大震災を経験したからこそだと思います。これも災害という切り口から「日本とは何か」を考えさせてくれる本として評価できるのではないでしょうか。


──「日本とは何か」を考える際に、外国人の視点で考える本があった方が良いと思い、ドナルド・キーンさんの『日本文学を読む・日本の面影』と、ピーター・J・マクミランさんの『謎とき百人一首―和歌から見える日本文化のふしぎ―』もフェアに入れました。


たしかにさまざまな視点を並べることは大事だと思いますが、キーンさん、マクミランさんご当人は、自分は外国人だという意識では書いていない、と不本意に感じられるかもしれませんね。
もし日本政治思想史の優れた本が、海外で刊行されたら、日本国内の読者に紹介したいと考えているのですが、最近はなかなかそのような本にめぐりあえないのが現実です。とくに英語圏の人文学・地域研究の学界で顕著な傾向ですが、ポストコロニアリズムやジェンダーといった「リベラル」なテーマにばかり集中していて、オーソドックスな思想史や政治史を専攻する研究者が少なくなっている。英語圏に関しては、もう無理かもしれません。ほかの地域にはまだ可能性があるかもしれませんが。
選書を対話的に読む
──苅部さんは『「維新革命」への道』『小林秀雄の謎を解く―『考へるヒント』の精神史―』と二冊の選書を刊行しています。選書というジャンルの魅力を教えて下さい。
選書という本の形は日本独自のものです。新書も世界では珍しい刊行形態ですが、一応、英国のペリカン・ブックスというモデルがあります。しかし、新書でも専門書でもない、中間的なスタイルとしての選書という存在は、おそらく海外に類例がない。そう考えれば、選書というジャンルがあること自体が、「日本とは何か」を語るための素材になりえます。
新書と選書の違いについてあえて語るなら、新書は、たとえば新幹線で東京と大阪を往復する間にさっと読んで、知識を効率的に吸収するための本です。それに対して選書は、情報を得るということのみにとどまらず、もう少しゆっくり時間をかけて、対話的に読むものではないでしょうか。
本の内容をじっくりと追いながら、なぜこのようなテーマを選んだのか、なぜこのような書き方をしているのだろうかと想像してみる。さらに著者の考えと自分の考えを対比させて、自分だったらどう論じるかを考えてみる。取り上げられている題材を別のものに置き換えてみたり、その理論を現実の事例に当てはめてみたり……情報を得る営みに加えて、時に文章から離れながら、頭の中で新たな対話が始まるようにして読む。そのように接していただけるのが、選書の著者としての願いでもあります。
(かるべ・ただし 東京大学教授)



