インタビュー
2026年6月号掲載
宮本輝『湾』刊行記念
大きな余韻が残る物語を書きたい
昭和三十四年京都・舞鶴へ向かった少年・光太が見た、美しい光景とは──。戦後から令和へ、ある家族の豊かな人生を描く、壮大な物語を書かれた背景を伺いました。
対象書籍名:『湾』
対象著者:宮本輝
対象書籍ISBN:978-4-10-332531-4
聞き手・構成 佐久間文子
夜、寝るときにね、三十分とか一時間とか、ちょっとだけ小説を読むのが習慣なんです。
そうやって一日の終わりにリセットするんですけど、最近、読む本がなくなってきた。いまどきのミステリーを読んでも、無惨と言うたらいいのかな。子どもが虐待されるような話を読んでも気持ちが殺伐とします。小説を読むってこういうことやったかな? と思うことが増えてきました。
ぼくは小さな字が目にこたえるので電子書籍でも読むんですけど、今日は何を読もうかと自分の端末に入れてある小説をスクロールしていくと、結局は古典や名作を選んでいます。何回も何回も島崎藤村の『夜明け前』を読んだり、森鷗外や、司馬遼(太郎)さんの幕末ものを読んだり。『源氏物語』をちょっとだけ読むこともあります。そのほうが気持ちが鎮まって、眠りに落ちやすいんです。
そうしているうちに、寝る前に宮本の小説を読んで一日をリセットしようと思える小説を書いてみてもいいんじゃないかと思うようになりました。殺伐としたものとか、汚らしいもの、邪なものがまったく出てこない小説。美しい光景や、幸福な人間の心、そういうものが物語をかたちづくって動かしていく、そんな小説を目指そうと思いました。
まずは美しい風景を探そうというので、新潮社の編集者とウロウロしたんですよ。最初に行ったのが、おやじの仕事の関係で中学生のときに少しだけかかわりのあった福井県の今庄というところです。行ったはいいけど、なにかピタッとくるものがない。車に戻って高速道路に乗って、そしたら高速から降りられなくなって(笑)、どんどん西へ向かって、ようやく一般道に降りたのが舞鶴です。
舞鶴に来るのは久しぶりやな、と思いました。学生のころに一回来たことがあるんです。結婚前に、女房と駆け落ちみたいにして来たんですけど、駅の改札が木でできていて、駅員さんが立っていました。舞鶴は港町で、ソ連からの引き揚げ船が着く「岸壁の母」で知られたところですから、駅の設備も一応は整っているけど、ぼくたちが行ったころには帰還事業も終了して、ひとつの役割を終えた淋しさがありました。
ぼくらは貧乏で、おいしそうなカニをなんぼでも売っているのに、お金がないから食べられへん。そんなことも思い出して、懐かしいなあ、と。
せっかく来たんやからちょっと港の方へ行こうかな、と漁港を歩いて、それから五老ヶ岳にも登ったら、そこからの眺めがあまりにも素晴らしかったんです。
思い出の風景に出会う
美しい舞鶴湾を見ながら、この町を主人公に、綺麗な心と美しい風景しか出てこない小説を書こうと決まったのは、そのときです。
どういう風に小説を書いたらいいかということはまったく考えてなくて。なんにも計画しないまま連載を始めたから、途中で大変なことになったなと思いました。
ぼくは、題が決まらないと小説を書き出せないんですよ。
まず題を決めないといけないんだけど、なにも思い浮かばない。書斎に舞鶴の地図を貼って、ずっと眺めていました。
舞鶴湾って「人」という形をしてるな、とか。湾っていうけど、どこまでが湾なんやろな、とか。そういうことをあれこれ考えているうちに、漢字一字で「湾」というのが意外といいかもしれないと思ったんです。
一応、仮の題として「湾」と打って、宮本輝と名前を書いて、第一章を書き出しました。
ふっと出てきた題やけど、「湾」、ええんちゃうかと。たぶんぼくの小説で一番短い題だと思います。『優駿』も『錦繡』も二文字ですし。
風景が主人公と言っても彼らはしゃべりませんから、代わりに人間がしゃべるような小説です。皐月と光太という、父親の違う姉弟がいて、弟の光太が語り手です。
一人称で自然と書き出していました。五行ぐらい書いてみて、あれ? これ、誰かの一人称になってるなと気がついた。同時に書いていた『潮音』(文藝春秋)も一人称の語りですから、もう一人称には疲れてるはずなんですけど。
またやってるわと思ってしばらく考えたけど、やっぱりこれでいくのがいいと思いました。三人称で書くのは、なんかちょっと違う。この小説は、しっとり語りかける一人語りでいきたい。皐月に語らせるのも違う。改札口で皐月が待っている景色が浮かんでいるわけだから。それを文章にしようとすると、どうしても光太の語りになるんです。
皐月と光太を受けいれる、母方の祖父にあたるタワシ爺ちゃんといとこのマジナイ爺ちゃん、ふたりの配偶者であるツルばあちゃんとカメばあちゃんが住んでいる家は舞鶴のこのあたりで、「皐月ちゃんの別荘」と呼ばれる家はこのあたりに建てたらどうやろう。何かモデルになる建物みたいなものがあったわけでは全然なくて、ぼくが勝手に、小説の中だけにつくった建物です。
『湾』は、小説の約束事みたいなのを気にせずに、そういうものは壊してしまえ、みたいな気持ちで書いていましたね。
これはいま現在のことであるとか、過去に起こったことやというのをいちいち説明せずに、あえてごちゃ混ぜに書いています。
ぼく自身、そういう書き方でこれまで書いたことがなかったから、どうしても辻褄を合わせようとしてしまうんですよ。
前半でせっかく崩してきたものを、後半で時系列がきちっと合ってしまうとなると、小説の雰囲気が変わってきます。前半の崩れみたいなものを後半までずっと維持していくっていうのが、なかなかしんどかったです。わけのわからんもんを書きたかったのに、わけがわかるようにしようとする力が知らず知らず働くんやな。
文体とは作家の命そのもの
八十歳近くになって新しいことをやってみて、自分では実験的にやったつもりやけど、やっぱりどこか臆病なところがあるのか、結局、うまいことまとめてしまってます。いままでの自分の規範、小説の書き方から思ったよりはみ出していません。もっとバラバラな、壊れたものを書きたいと思ったけど、あまり壊せませんでした。これはぼくの性格ですね。
『湾』という小説を書いて、文体っていうものがどういうものか、ものすごく具体的にわかりました。
文体は文章と違います。文章を変えることはできても、文体は変えられないんですよ。人の真似も、模倣もできない。文体って、その作家の命みたいなもんです。もっと生々しく言うなら生理状態ですね。文体を意識して読むと、その作家の腹の底がわかる気がします。
どう書くか決めてなかったから、連載中は本当に大変で、書き終えたときは疲れ果てて、もう一行も書かれへん、と思いましたね。
書くことに行き詰ると、舞鶴湾を見に行きました。編集者と行くだけでなく、友だちと二人で何回も出かけてます。車で、宝塚インターから高速に乗ると一時間半から二時間ぐらいで行けますから。自分に気合を入れるために現場に行きました。それで、小説にも出てくる舞鶴のおいしいかまぼこを買って帰るんです。
幸せな人生とは
小説の冒頭で光太は母親から木の種を託されて舞鶴に向かいます。ヤマボウシとコブシの木がその後どうなったか、あえて詳しく書いていません。
語り手の光太は七十四歳になり、初めて舞鶴に行ってから六十年以上経っています。六十年の間に、段々畑に植えられた木は相当生い茂っているはずやけど、そのことには触れてないんです。
そこまで書くと、作為的になりすぎるから。読んだ人が、あの木はどうなったんだろうと思ってくれればいい。
いまは、なんでも説明しすぎるんですよ。だから本当は、こういうことも話さないほうがいいんですけどね。
湾で暮らす人たちが、戦後どんな人生を送ったか。たいして起伏がある物語ではないですけど、読み終えたあと、何かどーんと、後ろから大きな波が迫ってくるような、静かに包み込まれるような、そんな余韻が残る物語を書きたいと思って書いた小説です。
マジナイ爺ちゃんとタワシ爺ちゃん、いとこ同士の二人が生きるか死ぬかの橋を渡って、何とか生きて帰ってきて、そのあと彼らがどう生きたか。
大金を得て、ふつうならどんちゃん騒ぎをするとか豪邸を建てるとか、そういうことをするでしょう。ところが彼らはそうしなかった。駅の裏側に二棟をつないだ、けったいな家を建てて、白杉部落にもう一軒、家を建てて、お金のことは別の人間に任せて。自分たちにできる仕事をして、その日その日の糧を得て、仲のいい友だちとつきあい、湾で釣りをしながら暮らした。地元で獲れる新鮮な魚で口贅沢の限りを尽くして。
すばらしい人生やなとぼくは思うんです。
彼らの心のうちも、やっぱり書いていません。書きたいことはいっぱいありますよ。軍隊を相手に大金を奪ったときの気持ちとか。でも書かないほうがいい。書いたらダメなんだ。
皐月ちゃんは、ちょっと神秘的なところがあるけど、ごくふつうの女の子にしています。百七十五センチという当時の日本女性としてはとびぬけて背が高いと書いているけど、いまはそれぐらいの身長の女性はなんぼでもいますしね。
皐月と光太、母親の菜々江、夫の紀夫も、マジナイ爺ちゃんにタワシ爺ちゃん、ツルばあちゃんにカメばあちゃんも、彼ら彼女らがどんな顔、どんな目鼻立ちをしているかも絶対、書かないぞと決めていました。そうすることで、読んだ人それぞれのマジナイ爺ちゃんやタワシ爺ちゃんが生まれると思うからです。
(みやもと・てる 作家)
(さくま・あやこ 文芸ジャーナリスト)



