書評
2026年7月号掲載
物語の連ね方が見事な短編集
義井優『海のほとりのプラネット』
対象書籍名:『海のほとりのプラネット』
対象著者:義井優
対象書籍ISBN:978-4-10-357061-5
わわっ、もしかして、これは令和版『海街diary』では。冒頭の一話であり、第22回女による女のためのR-18文学賞(以下、R-18文学賞)友近賞を受賞した「ゴーヤとチーズの精霊馬」(応募時のタイトルは「子供おばさんとおばさん子供」)を読みながら、そう思った。
物語は「夏休みに三日間だけ娘を泊まらせてくれないか」という父の電話から始まる。父の再婚相手の連れ子である穂乃花が、希帆が暮らす古い一軒家に遊びにいきたいと言っているという。半年前に母を亡くした希帆は「今まだ喪中だし」とやんわり逃げをうつものの、結局はOKする。離婚後十年経っているので、自分と一回りしか違わない三十代後半のネイリストと再婚した父に含むところはないにしても、なんとなくモヤっとする希帆。そりゃ、しますよ、しますとも。
穂乃花が希帆の住む鎌倉にやってきたのは、8月の二週目。ちょうどお盆の頃だ。希帆が暮らすのは、母が祖父母の代から受け継いだ築百年を超える一軒家。母が手入れをしていた頃は「古い地域に昔からある家」で済んでいたのだが、今では、ただの「古ぼけた家」と化している。なんでまたこんな家に、と訝る希帆。
この穂乃花、まだ小六、十二歳だというのに料理にも掃除にも長けていて、希帆は思う。「おばさん子供が子供おばさんの家に来た」と。そうか、応募時のタイトルはここから来てたのか。
なぜ穂乃花が家事に長けているのか、なぜこんな古びた家に来ることを望んだのか、は実際に読んでみてください。冒頭、もしかして『海街diary』? と思ったのは、この希帆と穂乃花の二人の関係から連想したのだが、次の「ご奉公日和」を読んで、違うじゃん、全然違うじゃん、この早とちりBBAめ、と自分に突っ込んだ。こちらは、希帆の叔父と、希帆の家の真裏の家・莖田家に一人で暮らす老女“莖婆”の話なのだ。
その次は、穂乃花の母のネイルサロンの客で、看護師のパートをしている主婦の話で、その次が穂乃花の母と穂乃花、そしてサロンにやって来たネイリスト志望の男子高校生の話。その次には、希帆が、ついに限界を迎えた実家のちゃぶ台を教室に通いながらリペアする話で、最終話は中二になった穂乃花と、クラスメイトである瀬戸と深沢の話だ。
連作短編集は、連作のさせ方というか、どうリンクさせていくかが読みどころの一つでもあるのだが、書き出してみるとわかるように、本書ではそのリンクのさせ方が絶妙。全体として、真ん中にいるのは希帆と穂乃花なのだけど、希帆、穂乃花、それぞれの話が読ませるのはもちろんだが、このリンクのさせ方のセンスが、いいのだ。
R-18文学賞というのは短編の賞なので、受賞作がそのまま単行本で刊行、デビューとはならない。受賞作の他に新たに五本くらい(枚数にもよるが)書き下ろさないと一冊の本として刊行に至らないのだ(受賞後、その書き下ろしのハードルを前にして、足踏みをしている受賞者は多いのでは、と思う)。その際、連作にすべしというルールはない(ですよね?)ものの、せっかく受賞作があるのだから、そこから膨らませていくというのが、一つのセオリーになっているのではないか。それが、連作短編集、という形なのだ、と。
でもですね、この連作というのがこれまたなかなかのハードルであることも確か。あくまでも“芯”は受賞作。そこからどうやって物語世界を広げていくか、もしくは深めていくか。全体をどこに落とし込むのか。そのトーンはどうするのか。経験豊富なプロの作家でも悩ましいところを、デビュー作でクリアしなければならないそのプレッシャーたるや。でも、だからこそ、そこをクリアした作品=R-18文学賞受賞デビュー作は、みなクオリティが高いのだ。これ、本当に凄いことなんですよ。
本書に話を戻します。収録作はどれもいいのだが、個人的な好みは、二話目の「ご奉公日和」。亡くなった希帆の母親の代わりに、莖婆に“借金”(中身は互助)を返す、希帆の叔父・緒方。借金返済を通じて、四十代の緒方と八十代の莖婆の心の距離が、ちょっぴり縮まる(ちょっぴり、というのがミソ)感じがね、もう、もう! 四十代一人暮らしの緒方にも、夫を亡くして一人で暮らす莖婆にも、それぞれに抱えるものはあるはずなのに、そこは見せない辺りに、作者の書き手としての背筋が、ある。
本書の舞台が鎌倉なのも最高だ。読み終えると、きっと「海街」鎌倉に行きたくなること、請け合います。
(よしだ・のぶこ 書評家)



