書評

2026年9月号掲載

小説のようなものが兆す現在

黒川創『若冲、川を下る』

堀江敏幸

対象書籍名:『若冲、川を下る』
対象著者:黒川創
対象書籍ISBN:978-4-10-444414-4

 2023年2月、ながらく行方不明になっていた若冲の《果蔬図巻》と思われるものが欧州の蒐集家から大阪の美術商の手に渡り、翌年3月に福田美術館によって真筆と発表された。決め手になったのは署名・印章、画風と技法、《菜蟲譜》との筆触の近似、そして、若冲と親交の深かった相国寺の僧・梅荘顕常=大典顕常によって寛政2年(1790)に記された、直筆の跋文である。
 この若冲真筆の発見という出来事が、語りを静かに起動させる。跋文で再確認されたのは、彼らの、つまり京都の青物問屋の主人でもある画家と、京都五山を代表する詩僧と目された秀才との、生涯にわたる友情の航跡であった、と言ってもいいだろう。若冲と大典は、跋文に遡ること二十余年、ともに淀川を下って、十メートルにもおよぶ拓版画の画巻《乗興舟》を共作している。《果蔬図巻》の跋文は、大典の讃を受けて若冲が応えた同舟の記憶を未来の第三者の胸に呼び覚ます。
 そもそも若冲は、作者と等身大の語り手が小説家となるにあたっての、重要な礎石だった。1997年に発表した「鶏の目」、1998年の「猫の目」を「双幅」に見立てた『若冲の目』が刊行されたのは、翌1999年。前者には、京都の蒐集家を訪ねて《乗興舟》を見せてもらい、技法について論じあう場面が描かれていた。印象的なその挿話が、本書では関係者の名を明かしたうえで再話されている。
 三十年の歳月を隔てたふたりの自分が、こうしておなじ語りの舟に乗る。『若冲の目』について、語り手は「あとで思うと、まったく、まずいものである」と振り返っているのだが、真意はどうあれ、はじめての小説を構想し、かたちにしようとしていた若い日の姿を現在の目で見つめるのだから、自伝的にならざるをえない。しかも小説を書こうとしている自分を成熟した書き手である自分が見つめる以上、小説とはなにか、どのように書けば小説と呼ばれるかたちになるのかを問い直す、一種の小説論にもなる。
 しかし「論」に堕さないのは、おなじ舟に乗せられた人びとがみな、若冲の持つ「平然たる本気さ」を共有して、川の流れを堰き止めたり、流路を変えたりと、遊び心を失わないからだろう。アマチュアリズムは、自立のための最良の武器である。若冲は円山応挙のような職業絵師ではなく、愛好家の身分を保ったまま自身の芸術を極めた。天明の大火で居宅も画室も失ったのち、絵を米一斗と換え、芭蕉の像を銀六匁に換えて石峰寺の五百羅漢を一体ずつ増やし、晩年には泥絵具で伏見人形を描いた。力を抜くことで得られる活力というものを心得ていた。
 若冲は絵に閉じこもった人ではない。錦小路の青物立売市場が五条問屋市場の圧力で開催を阻まれたとき、壬生村の庄屋を訪ねて農民たちから再開を願い出てもらえるよう働きかけ、三年を費して実現にこぎつけた。十年に及ぶ《動植綵絵》の制作で孤独な緊張を強いられた若冲にとって、町人としての実務的な交渉は「情理と行動力」の証しであると同時に、「人間性の回復」でもあったのではないかと語り手は言う。芸術にすべてを注ぎながら、社会との接点を失わないことで、心のバランスも保たれていたのだろう。
 ただしいまの世に必要なのは、適度に醒めた「人間性の回復」である。トミオカさんとして登場する富岡多惠子は、会いにいらっしゃいと言いながら、心の状態のよくないときや仕事が興に乗っているときにはきっぱりと断る。奇妙なえにしで知遇をえた日本画家の秋野不矩も、若冲について書くために制作中の画室を見せてほしいと頼んだ語り手に、描いているからだめ、描いていないからだめと、なかなか応じない。それでいてふたりともおなじ語りの舟に乗り、けっして船酔いしない。
 こうした距離感は、語り手と父との関係にも重なるだろう。家族と別居し、働きながら修士号を取って、退職後は大学の非常勤講師をつとめ、大学生の息子と週に一度フランス語の本を読んでいたこの父は、『若冲の目』が刊行された年に亡くなる。しかし死の周辺は悲嘆に飲まれない。亡くなる直前にあった語り手への電話、数カ月先まで支払い済みの家賃、十七年ぶりに会った妻に渡される鍵といった、具体的な挿話で淡々と示される。芭蕉が寿貞の死を句にしたとき、そこに「得意げな表情」をも感じ取った語り手の目が利いている。
 時間と人の舟を動かしているのは、もちろん川だ。高校時代にボートを漕いでいた語り手は、還暦を過ぎて東京から京都へ戻ると、淀川を屋形船で下る。川は下方に流れ、記憶は遡行し、ときには堰を越えてあたらしい流路をつくる。1995年、阪神・淡路大震災の数日後にトミオカさんと大阪を歩いた記憶が、天明の大火後に消息の薄れる若冲と結ばれ、画室を二度も火事で焼かれた秋野不矩がその隣に腰を下ろす。若冲の評伝と自伝と小説論がひとつの水面となって混じりあう。舟が向かっているのは若冲の生涯の終点でも小説でもない。むしろ小説のようなものが兆す現在へと開かれた、語りの海なのである。

(ほりえ・としゆき 作家)

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