書評
2026年9月号掲載
究極の選択を巡るスリラー&謎解き
結城真一郎『少年ABCの完璧な選択』
対象書籍名:『少年ABCの完璧な選択』
対象著者:結城真一郎
対象書籍ISBN:978-4-10-352235-5
究極の選択を突きつけられるスリラー、巧みな謎解き、切実な青春の記憶。『少年ABCの完璧な選択』は結城真一郎がミステリ作家として更なるステージに上がった長編である。
プロローグでは東京都足立区で蓮沼乃愛という女性が誘拐される事件が描かれる。神奈川県警刑事部捜査第一課に所属する善塔刑事は被害者の旧姓が“鮫島”であると聞き、ある苦い記憶が蘇る。それは桐原翔吾、黒石鉄平、猿渡大樹という当時中学二年生の少年たちが起こした、ある犯罪に関するものだった。
ここで物語は十五年前の2010年へと遡る。翔吾、鉄平、大樹に乃愛を加えた四人はもともと小学校時代に知り合った友達同士だった。家庭の都合で翔吾が渡英する直前、四人は「本町ギャングスターズ」というチーム名を付け、翔吾の帰国後に再び仲間として行動を共にするようになる。四人はそれぞれ複雑な家庭事情を抱えていたが、年相応の悪ガキっぽい遊びに興じながら仲間同士で楽しく過ごしていた。
だが、そうした楽しい日々が終わりを告げるような出来事が起きる。学校にも来ず音信不通になっていた乃愛を心配し、翔吾ら三人は乃愛の家を訪れる。そこで彼らは痛ましい光景を目撃するのだ。一刻も早く乃愛をこの地獄から救い出さなければいけない。しかし、まだ子供の自分たちに出来ることは限られている。翔吾、鉄平、大樹は彼らなりの方法で乃愛を救う手立てを考え始める。
非力な者たちが不当な抑圧へ一矢報いようとする、青春犯罪小説としての読み応えが第一部にはある。乃愛の救済のために翔吾、鉄平、大樹があれこれと思案をめぐらす場面を、読者は実に危なっかしく感じることだろう。そこに未熟な子供ゆえの愚かしさを見出す人もいるかもしれない。だが、力を持たない人間が精一杯の抵抗を試みる姿に、この上ない切実さを感じる読者も多いはずだ。愚かしい、ゆえに切ない。これが青春犯罪小説のツボであるならば、本書はそのツボをしっかりと押さえたものになっている。
むろん、そうしたツボだけが読みどころではない。青春犯罪小説として鑑賞した時に、本書には先行作では見かけなかったような奇抜な着想が盛り込まれているのだ。「なるほど、そういうことも可能なのか」という、盲点を上手く突くようなアイディアに読者は驚くはずだ。
本書が秀でているなと感じたのは、その着想が第二部の現代パートにおけるスリラーの要素にも密接に繫がっている点である。第二部では乃愛を誘拐した犯人らしき人物が、SNS上である要求を突きつけてくる様子が描かれる。その要求は十五年前に翔吾、鉄平、大樹が取った行動に関わるものだった。要求をのまなければ彼らは現在の生活を破滅させられてしまう。だが、三人は簡単には要求をのめないジレンマを抱えていたのだ。
登場人物たちが極限の状況下に追い込まれ、決断を迫られる時限型スリラーの趣向が第二部の読みどころとなる。結城はこれまでも『救国ゲーム』や『#真相をお話しします』といった、登場人物たちをのっぴきならない状況に立たせるスリラーの要素を巧みに取り入れたミステリを描いている。本書の場合は「自分なら、この状況に追い込まれたらどれを選ぶのか?」と読者の倫理や価値基準も問い質すような選択を用意してみせる。夕木春央『方舟』や麻根重次『シュレディンガーの密室』といった読者の感覚を試す思考実験的なミステリが近年注目を集めているが、実は本書もそうした作品と共通する読み心地が一部含まれているのだ。
ミステリの読みどころとしてはもう一つ、犯罪小説やスリラーのほかに謎解きの要素も組み込まれていることには言及しておきたい。本格謎解きミステリの分野における結城の代表作と言えば『難問の多い料理店』を思い出す人は多いだろう。同書はゴーストレストランの店主が配達員から得た情報から手がかりを得て推理を組み立てるという連作短編集だった。いわゆる安楽椅子探偵と呼ばれる形式の謎解きミステリの変化形として捉えることが出来るだろう。
つまりはそうした謎解きの要素が『少年ABCの完璧な選択』にも込められているということだ。限られた行動範囲のなかで、限られた情報から思いもよらない事実が導き出される楽しさも本書にはある。
十五年前の凄惨な出来事に関わった三人の中には家庭を持ち、ささやかな幸せを感じて暮らしている者もいる。だが、そんな彼らも乃愛の誘拐によって置いてきたはずの過去と向き合わなければいけない状況に陥る。どれだけ時間が過ぎようとも、後ろ暗い過去と否が応でも対峙しなければいけない時は来るのだ。スリラーとしての緊迫感や謎解きの感動だけではない。過去と向き合い、それを清算しなくてはいけない苦しみや痛みも本書で読者は味わうことになるだろう。
(わかばやし・ふみ 書評家)



