書評

2026年8月号掲載

瀬尾まいこ『はじまりのスープ、夏ゼリー』刊行記念特集

味だけでは完結しないもの

瀬尾まいこ『はじまりのスープ、夏ゼリー』

倉本さおり

対象書籍名:『はじまりのスープ、夏ゼリー』
対象著者:瀬尾まいこ
対象書籍ISBN:978-4-10-468604-9

 あまじょっぱくて、ほろ苦くて。口当たりはすっきりとしているのに、喉越しはなめらかで濃く熱い。でも、これを単に「おいしい小説」と呼んでしまうのは──なんだかすこしちがう気がする。
 語り手のリリーは高校卒業とともに実家を出て以来、定職につかずいろんなバイトを転々としながら生計を立てている二十六歳の女性だ。しがらみのない働き方は自分の性に合っていると自覚しているが、なにぶんこのご時世ゆえ生活に余裕はない。現にいまも二か月ぶんの家賃を滞納し、節約のために前日の夕食を抜いて済ませているような有様。そんな彼女が十万円の賞金をあてこんで地元の市の料理コンテストに参加するところから物語の幕があく。
 うっかり寝過ごし、ひとりだけ集合時間ぎりぎりに会場に駆けこむ姿もさることながら、制限時間三十分なのに事前にレシピも決めていない。優勝を狙っているにしてはずいぶんとのんびりした様子に、はじめのうちはハラハラさせられることだろう。なにせ彼女自身の朝食は、パックごはんの上に残り物の白菜の漬物とフリーズドライの味噌汁を載せてお湯をかけただけの代物なのだ。コンテストの説明にあった「春を感じさせる」などという洒落た文言とはほど遠い食生活。ところが、わたしたち読者の心配をよそに、リリーは事実上優勝にあたる料理をみごとに作りだしてみせるのだ。その一皿──アサリで出汁をとった新玉ねぎのスープ──が思わぬきっかけとなり、停滞していた彼女の生活にささやかな晴れ間がのぞく。
 本作の肝となるのは調理の過程だ。充分な時間がとれないアサリの砂抜きは、よく洗って熱めのお湯につけることで代替する。そのあいだに玉ねぎは十字に切れ目を入れて圧力鍋へ。フライパンにアサリとワインを入れてふたを閉じたら余計なことは一切しない。ただし使わなかった身の部分は、もったいないので殻を外してしぐれ煮にして自宅への持ち帰り用にとっておくというちゃっかりぶり。あれやこれやと足し算で趣向を凝らしている他の参加者たちをよそに、リリーの調理はいたってシンプルだが、その無駄のない動きのひとつひとつに積み重ねてきた生活の知恵が透けて見える。実際、忙しい両親に代わって幼いころから台所に立ち続けてきたリリーは、料理が上手であることは自分でも認めている。けれど「自分の料理が好き」だとは思っていない。それは自己評価の奇妙な低さと関係がある。
 リリーの両親の離婚が決まった際、母は二歳違いの妹だけを連れて出ていった。父は二人暮らしとなった最初のうちこそリリーの作った料理をありがたがっていたものの、次第におざなりになって外食を繰り返すようになった。〈私は誰にも選ばれなかった〉──そのときに刻まれた傷は、まだ小学校を卒業したばかりのリリーのなかで劣等感と結びつき、仲良しだったはずの妹との関係までぎくしゃくしてしまったという経緯がある。ほんとうは「百合」と書いて「リリー」と読む自分の名前を好きになれないのも、昔から「かわいい子」と持て囃されてきた妹の花梨に対するコンプレックスの裏返しだろう。
 だが他人の好意をあてにしないぶん、つねに目の前のことに一生懸命に取り組むリリーの料理は、同じように懸命に生きてきた人びとの心を摑み、彼らの生活の支えになっていく。例えばコンテストの審査員のひとりで編集者の下倉は、くだんのスープをもう一度食べたいがためにリリーを追いかけ「十万払う」と持ちかける。当初は突飛な提案に引き気味だったものの、地域の暮らしに寄り添った下倉のフリーペーパーの丁寧な仕事ぶりに触れたリリーは、「子どものころ潮干狩りに行った」という彼の思い出をなぞるように、わざわざ自分も潮干狩りに出かけアサリを漁ってくるのだ。
 良心的ゆえに赤字経営からなかなか抜け出せない定食屋の大将のため、目玉となるメニューの考案のみならず材料の発注を効率化し調理場の動線まで整えてやる。料理下手を自認する大将の娘さんには、大量のレトルトといったインスタント食品を用意してアドバイスする。リリーの「料理」は最初から最後まで、つねに食べる人のことを考えて作られている。それは食べ終わった後も続いていく彼らの暮らしへのエールとなり、めぐりめぐってリリー自身が生きてきた時間をもあたたかく照らしていく。
 味だけでは完結しないもの。
 瀬尾まいこの小説を読むことは、たぶん「味わう」よりも「生きる」に近い。

(くらもと・さおり 書評家)

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