書評
2026年8月号掲載
私の好きな新潮文庫
背伸びして読みたい三冊
対象書籍名:『思い出トランプ』/『女たちよ!』/『国家の罠―外務省のラスプーチンと呼ばれて―』
対象著者:向田邦子/伊丹十三/佐藤優
対象書籍ISBN:978-4-10-129402-5/978-4-10-116732-9/978-4-10-133171-3
こんにちは、佐伯ポインティといいます。マルチタレントという肩書を名乗り、YouTubeで動画を配信したり、Podcastで番組を配信したりしています。
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僕は、本を買うこと自体が好きです。本棚にはまだ読んだことのない本ばかり刺さっています。そして多くの本が好きな人と同じように、本を買いながらも、「最近、読む時間ないな……」と思っています。読めていないことを忙しさやスマホのせいにしたいですが、よく考えるとずっと【読みたい本の量>読んだ本の量】でした。
本の購入が増えやすいタイミングの一番は、読書家と会った時です。沢山の本を読んでいる読書家にも、【読みたい本の量>読んだ本の量】の法則は当てはまります。読書家は途方もない物量と時間の厳選を経た本を知っている。というわけで、読書家に会ったらオススメを聞いてせっせと買っています。なんてありがたい情報。読書家の人は心が広いです。気前がいい。器が大きい。よっ読書家!
そして、そうやって読む本の中には、“背伸び”が必要な本があります。文章が硬質だったり、複雑だったり、前提となる知識がないといけなかったり……読み切ったとしても、どれぐらい“読めた”といえるのか。今の自分じゃ嚙み砕けないほどの歯ごたえがある。ただ、それだけは分かる、というような本。そういう本に出会ったときに訪れる、まだまだ本の世界は深くて広い、もっと本を読まなきゃ、という心地の良い焦燥感。あれ、いいですよね。というわけで今回は、読書家たちから僕がオススメしてもらった新潮文庫の背伸び本をご紹介したいと思います。

読書家の先輩がしきりに「とにかく読んでみて」とオススメするので、買ってみたのが『思い出トランプ』です。まさに読んでみたら分かる、オススメしづらいけどオススメせずにはいられない本でした。言わずと知れたテレビドラマ脚本家の直木賞受賞作を収録した短編集。市井を生きる人々の温かい部分、弱い部分、小狡い部分、その心理の揺れ動きがとにかく細かく描かれていて、読んでいると、滋味深い和食を堪能するときに出るため息が出ます。なんと贅沢な短編集。衝撃的な事件やスキャンダラスな展開がなくとも、一見穏やかな家庭内にも膨大な感情のやり取りと無数の読み合いがあって、その心理的な緊張感は時にサスペンスよりサスペンスだということを教えてくれます。

60歳を越える読書家の先輩から教えてもらったのは、伊丹十三のエッセイ『女たちよ!』。「伊丹十三は映画だけじゃなくてエッセイも恰好良いんだよ、知らないのか!」と、先輩お得意のマウントでじゃれながら勧めてもらいました。内容は、思考や構えだけでなく、当時の海外を知らない日本人に向けたスパゲッティの作り方やバーでの振る舞いなど、教養のある心地良い教えが多く描かれています。インテリの蘊蓄本のようですが、実際そうです。それがいいんです。そして冒頭には、伊丹十三自身も多くの先人たちから教わったことで自分が構成されている、と。昨今、マウントは嫌われ者の所作ですが、本物を知ってる人と本物を知りたい人同士の合意の上では、マウントは教えとなるのだな、と読みながら教えてくれた先輩のことを思い出しました。厳しさの中に本物があること。それに触れられる一冊です。
とあるベテラン映画監督のワークショップに参加した時に知ったのが、佐藤優の『国家の罠―外務省のラスプーチンと呼ばれて―』。読書家という言葉だけでは足らない、古今東西の様々な物語に精通してるのが映画監督です。その監督から台本として渡されたテキストは『国家の罠』をベースにしていて、読んでみて驚きました。ロシアとどのように交渉を進めるかの詳細に始まり、国のために動いていた外交官に検察側が仕掛ける心理戦のような捜査もある。厳しく捜査が進む中にも、外交官の知識を検察官が学んでいくようなパワーバランスの変化もあって、難しいのに読むのが止まらない。知的な重厚さにやられました。読みやすい本もいいけど、背伸びして読んだ本は忘れられない。新潮文庫の本をめくって、そこに描かれてる葡萄を見るたびに思うのです。さあ背伸びして脳に汗をかこう!と。

(さえき・ぽいんてぃ マルチタレント)



