書評
2026年8月号掲載
村上春樹『夏帆─The Tale of KAHO─』刊行記念特集
夏帆が呼び寄せたもの
村上春樹『夏帆─The Tale of KAHO─』
対象書籍名:『夏帆─The Tale of KAHO─』
対象著者:村上春樹
対象書籍ISBN:978-4-10-353440-2
コロニーに一匹だけ存在するシロアリの女王は一日中出産する。種によっては一日、数千~数万個、産む。腹が極端に肥大して動けないから出産だけが責務だ。いっぽう、ありくいは一日に2~3万匹のシロアリを食べる。60cmの長い舌を1分間に150回ほども蟻塚の穴に出し入れしてシロアリを舐めとる。ルールは女王を殺さないこと。母である女王を殺してしまうと、プチプチして美味しいシロアリが今後産まれなくなる。しかし、女王も生産力が落ちると、若い女王候補によって追い出されることがあるそうだ。つまり自分が産んだ娘によって。
『夏帆─The Tale of KAHO─』では、ブラジルのジャングルから、シロアリやありくいなどの野生動物が何らかの境界線を密かに越えて夏帆の暮らしに闖入してきたようだ。夏帆の無意識が呼び寄せたのかもしれないし、彼らは夏帆を都合よく使えると感知したのかもしれない。
シロアリの女王は夏帆の母に取り憑き、ありくいの子供を殺したジャガーは包丁研ぎ「とぎや」の主人に取り憑いた。子を亡くしたありくい夫婦は夏帆の自宅の床下に棲みついた。ありくいは棲まわせてもらう代わりに夏帆を危険から守ると言い、助言をするようになるが、どこか夏帆を利用するようでもある。実像と虚像を行き来しながら動物たちが夏帆に関わり始める。そのようすを遠くで見護ることとなるオフビートな守護天使・佐原と、夏帆はブラインド・デートで出会うが、守護天使は性欲を持たないらしいので、どうして実在するのか不思議だ。守護天使も人間に取り憑いているのかもしれない。それなりに自分自身に満足して暮らしていた夏帆に、どうしてこうも周りが関わってくるのか。現実を歪ませるのは夏帆なのか。それとも、夏帆もそれら全体に取り憑かれてしまったのだろうか。
絵本作家である夏帆や私のように絵を必要として生きる者は、現実と非現実の間に引かれた境界線の真上で積極的に宙吊りになる好奇心がある。そこには独自の時間が流れ、独特な質感がある。夢であるわけがないほど異様な実在感がある。その時空そのものがすでに答えである感覚と言えばいいだろうか。しかし、油断していると自分の物語が何者かに乗っ取られそうになり、身の危険を覚えることもある。境界線を越えようと彷徨ういきものにとって、生身の存在は貴重だからだ。しかし、自分が語るべき物語を他の誰かに語られるわけにはいかない。
主体性の希薄な夏帆は、まさにその危険の中にいる。磁石のような夏帆には、当然いろいろなものが集まってくるのだろう。夏帆が、存在を確かめなければそれらは不在となるのだが、自分の内的現実をゆるめたことでシロアリの女王が外に放たれてしまった。結果、自分の首を絞めるような物語が始まることとなる。
ジャングルでお払い箱になったシロアリの女王は、自分のコピーを産み続けるだけの責務から逃れ、まるで、ジャングルへ仕返しをするように、人間の、それも女の体を棲家とした。皮肉にも、シロアリの女王の取り憑き行為が、夏帆を自分の深層心理へ向かわせることになる。母との関係への対峙だ。社会的階層のランクアップを回復であると言った野心家の母の期待を負担に思っていた夏帆は「母のことがそれほど好きではないかもしれない」とようやく吐露することができた。親子の関係は常に「薄紙が一枚はさまったような感覚」であるが、それは、親が子の「正確な記憶を所持している」からなのだろう。
シロアリの女王やありくいが夏帆を越えて語るような存在になってしまった今、夏帆は自分の手でその物語を断ち切らなくてはならない。夏帆には、父がいて、叔父がいて、猫のホルがいて、「とぎや」の店主がいて、そして母がいる。非現実と現実の間の宙吊り状態を楽しむ間、現実から聞こえてくる他者の声は、きっと命綱になる。
夏帆が存在する間、夏帆の内的世界もまた現実である。目に見えにくいことをなんとか描き出して見えるものにしたい私にとって、『夏帆─The Tale of KAHO─』は画家の主観的現実を肯定してくれる物語だ。そして、言葉で語る必要のない絵という存在を、著者もどこか希求しているような気がしている。
(ひらまつ・あさ 画家)

