書評

2026年8月号掲載

今月の新潮文庫

十六世紀の犯罪捜査官、そのアウトローな魅力

D・V・ビショップ『フィレンツェに悪魔が彷徨う』

辻田希世子

対象書籍名:『フィレンツェに悪魔が彷徨う』
対象著者:D・V・ビショップ、熊谷千寿 訳
対象書籍ISBN:978-4-10-241281-7

 1539年、フィレンツェ。冷たい雨がふる秋の夜、最初の死体が見つかった。十字架にかけられたキリストを模した姿勢にされ、舌は真っ二つに裂かれ──。
 冒頭からすぐ、そのダークな世界に引きこまれた。昔、ヴェネツィアやフィレンツェに住んでいた頃の、石畳の硬く冷たい感触の記憶が足裏によみがえった。
 夜陰を走る影、革なめし工場のむせるような悪臭──本書で描かれるのは花の都の裏の顔、密告や暗殺がはびこり、夜間は外出禁止令がしかれた暗く陰鬱なフィレンツェだ。
 時代は共和制が終わり、メディチ家のコジモ一世による絶対君主制へと移行した頃。治安八人委員会オットという刑事裁判機構が思想から性、モラルまできびしく監視、同性愛は処刑も免れないほど弾圧されていた。
 唸ったのは、そんな舞台で主役を張る男のキャラの造形。男を愛する男で、それを隠して当の治安八人委員会オットの一員として捜査にあたっているというスリリングな設定なのだ。
 名はチェーザレ・アルド。年の頃は四十。
 優秀な捜査官だったが不敵な性格と型破りなやり方で上から嫌われ、夜間警備に左遷された。ラテン語が読め、教養もあるが、婚外子だったせいで傭兵などして生きてきた。サウルという優秀なユダヤ人医師の恋人がいるが、カモフラージュのため売春宿で暮らしているという確信犯だ。
 一筋縄ではいかない男で、相棒のまじめなストロッキとは違い、必要とあらば法も破るしナイフも使う。上司のビンディ(胸糞悪くなる俗物!)はアルドを潰そうと狙っており、コジモ一世からは別の密命をうけ、むずかしい立ち回りを要求されるが、君主と堂々わたりあう器量も備えている。
 最初の犠牲者は裕福な羊毛商人で同性愛者だった。二人目の犠牲者はアルドの情報提供者で、コソ泥で男娼もしていた若者だ。男色のトラブルか、宗教がらみか。
 探るうち、悪魔祓いを執り行っているという神父、ネーグリの名があがってきた。ネーグリは同性愛や性同一性障害、癲癎のような症状で悩んでいた信者に悪魔祓いと称し、拷問に近いことをしていたことがわかった。
 革なめし工場で働く大女も弟をネーグリに殺されたと恨んでおり、その悪行を教会上層部に突きつけたいと助手のザティ神父につきまとう。ザティも悩み、別の神父に相談するが、教会上層部は聞く耳を持たないだろうと諭される。彼らの関心事は自分らの保身だけだと。
 教会には治外法権があり、アルドたちは踏み込めない。不条理に憤るストロッキにアルドは苦々しく言い放つ。
「ここでは力は常に力を守る」。そんな世界で牙を向くのはどんな顔をした悪魔なのか。
 ふと、アンドレオッティ元イタリア首相の言葉を思い出した。「権力はそれを持たない者を消耗させる」。
 五百年前も現代も、人の世は変わらない……。
 そして第三の死体が見つかる。が、それはこれまでの死体とはちょっと様相が異なり──。宗教がらみの連続殺人事件にフィレンツェとヴェネツィアの諜報戦が加わり、ストーリーはますます複雑におもしろくなっていく。そしてそれはもうひとりの主要登場人物、コルテッロ伯爵夫人の魅力に負うところが大きい。
 生粋のフィレンツェ人であるにもかかわらず、亡き夫の跡を継いで競合国ヴェネツィアの諜報部長をやっている。大好物は知的攻防とスリル。女であるという、その時代には負でしかないカードを巧みに、楽しんで使いながら、どんな局面でも見事なゲームをくり広げる。ヴェネツィアのためというより、自らの真価を発揮する喜びに生きるのだ。
 アルドと夫人は会った途端、またとない好敵手だと認め合う。その探り合いと化かし合いの会話が絶妙!
 そして終盤、いくつもの伏線が回収される。ある人たちのあっと驚く側面が明るみに出る。で、犯人はだれなのか。その動機とは……。
 ここで冒頭のマキャヴェッリの言葉が効いてくる。
「だれしもそなたの姿は見えるが、そなたの内面を知る者などほとんどいない」
 話は変わるが、これがイタリア人のおもしろさなのだ。理想論では生き残れないと熟知しているから、上手に表と裏を使い分ける。そして淡々としぶとく、個人の価値観で楽しみながら生きている。
 アルドはそんなイタリアの複雑な魅力を体現した、いぶし銀のアンチヒーローだ。

(つじた・きよこ エッセイスト・イタリア文化研究家)

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