書評

2021年3月号掲載

30万部突破記念特別寄稿

「やっぱり」と「なんだ、なんだ」

アンデシュ・ハンセン『スマホ脳』(新潮新書)

池上彰

対象書籍名:『スマホ脳』(新潮新書)
対象著者:アンデシュ・ハンセン/久山葉子訳
対象書籍ISBN:978-4-10-610882-2

「東大生って、歩きスマホをしないんですね」
 東京大学駒場キャンパスでテレビ局のプロデューサーと待ち合わせたときのこと。私の到着を待っている間、キャンパス内を行き交う東大生の様子を観察した結果、歩きスマホをしている学生がいないことに気づいたという。彼が住む家の近くにある私大では、誰もが歩きスマホをしているのを見ていたので、新鮮な驚きだったという。
 言われてみて、私が教えている東工大のキャンパスで観察したところ、街中を歩いている若者に比べて、歩きスマホをしている学生が極端に少ないことに気づいた。
 もちろん東工大生もスマホは使っているのだが、一日中スマホとにらめっこをしているのではなく、メリハリをつけて使っていることに気づいた。
 学力とスマホの使用頻度には負の相関関係があるのだろうか......と漠然と思っていたところに、『スマホ脳』に出合った。
 この本が売れているという。書店の店頭ではベストセラーの棚に並んでいる。子どもがスマホ中毒になっている様子を見ている親が手に取ったのか。あるいはスマホを手放せない自分に嫌気がさした大人が買っているのか。気になっていたのだが、今回じっくり読んでみて、人気の秘密がわかった。
 本のメッセージは明確だ。「今あなたが手にしている本は人間の脳はデジタル社会に適応していないという内容だ」と本人が冒頭で明らかにしている。
 著者のアンデシュ・ハンセン氏はスウェーデンの精神科医。人間の進化の過程は、飢えや死の恐怖からどのように逃げ出すことができるのか、という点が一義的なものであった。そんな人間の精神はデジタル社会に十分対応できるものではないと著者は強調する。
 その結果、ストレスを溜める人たち、眠れなくて困る人たち、鬱状態に陥る人たちの多いこと。いずれもスマホが引き起こしているというのだ。
 スマホを身近に置いておくと、着信音がするたびに気になって画面を覗く。仕事をしていても、ついスマホを手に取る。結局、長時間机に向かっていても、仕事がちっともはかどらない。
 SNSで発信すると、「いいね」がどれだけつくか気になって仕方がない。相手に送ったメールが既読スルーされると、不愉快な気持ちになる。
 私の場合、出版社の編集者からのメールにすぐに反応しないと、「メールは届いているでしょうか?」という、パソコンの安否を尋ねるかのような文体の催促のメールがやって来る。みんな、どうしてこんなに我慢ができなくなったのか。そうした理由も解き明かしてくれる。
 スマホのアプリは、脳に快楽物質を放出する「報酬系」の仕組みを利用して開発されているとは。ITの世界では、技術者ばかりでなく脳科学者や心理学者も求められているというわけだ。
 やっぱり、と納得するのは評者がスマホをあまり使っていないからか。大学の教室でガラケーを取り出した私を見た学生たちから「先生はスマホを使っていないんですか?」と言われて屈辱感を味わってしまった身としては、「バカになっていく子供たち」という章のタイトルを見ただけで拍手を送りたくなる。
 それなのに文部科学省はデジタル教科書を普及させ、タブレットでの授業を拡充させるという。その人たちには、本書のこの部分を読ませたい。
「普通に遊ぶ代わりにタブレット端末やスマホを長時間使っている子供は、のちのち算数や理論科目を学ぶために必要な運動技能を習得できない」
 アップル創業者の故スティーブ・ジョブズはわが子について、「iPadはそばに置くことすらしない」と新聞記者のインタビューに応じて言い放ったことがある。
 なんだ、なんだ、自分の子どもには使わせない商品を売っているのか、と驚いてしまうが、それだけスマホの使用の危うさを知っているからこそなのだろう。
 念のために付け加えれば、評者はふだん通話用にガラケーを使っているが、パソコンに送られてきたメールのチェックや最新ニュースの確認にはスマホを使っている。と言っても自慢にはならないが。
 スマホを傍らに置くだけで学習効果、記憶力、集中力は低下するという著者の指摘には驚く。スマホ断ちの時間は絶対に必要だ。

 (いけがみ・あきら 東京工業大学特命教授/ジャーナリスト)

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