書評

2021年5月号掲載

親切という運命の受け入れ方

トーン・テレヘン『キリギリスのしあわせ』

津村記久子

対象書籍名:『キリギリスのしあわせ』
対象著者:トーン・テレヘン/長山さき訳
対象書籍ISBN:978-4-10-506993-3

 太陽と月、星以外は何でも売る店をやっているキリギリスの話だ。食品も日用品も服も概念も売るので、お店は大人気で開店前には行列ができる。お店に来られない遠方の動物や、動けないムール貝などにはメールオーダーにすら応じる。連日ものを売りまくっているけれども〈支払い〉のことはやっていないというこのキリギリスは、お客を失望させたくない一心であらゆる要望に応じている。
 お客の求めに揉み手をしてうなずき、「ちょっと取ってくるね」と言うキリギリスは、挿し絵の実直でやさしそうな見た目も相まって、他人の要求をどんどん満たしているだけなのに不思議な幸福感をまとっている。
 お客たちの要求はかわいいものから熾烈なものまで多岐にわたる。中でもいちばん大変そうな要望は、クジラがガーデンパーティを開くので背中に庭をつくってくれというもので、曲がりくねった迷えるような小路をつくってくれとか、誰かが自分を賞賛するスピーチをしてくれるような空き地もほしいとか、みんなが陽気になったらそこからすべり降りられる丘もほしいなどとめちゃくちゃだ。あまりに大変そうなので、「ぼくって注文が多いと思う?」とたずねてくるクジラに、「おうそうだな」と答えてやりたくなるのだが、当のキリギリスは、ていうか話が長いねぐらいの反応にとどまる。
 お客の中には、自分で自分の誕生日プレゼントを買いに来て「とくべつなプレゼント」と抽象的なことしか言わないくせに何を出しても気に入らず、キリギリスに暴力をふるった上、〈良心の呵責〉がおまえらを襲うと呪って店を破壊して帰るロブスターのような明らかにやばい奴もいるし、店全体をくれよと無茶を言ってくるコメツキムシなどもいる。言っていいのかどうかわからないけれども、本書の動物たちの要望には、虚栄心とその裏の弱い自我を感じさせるものがけっこう多い。人間以上に人間らしいというか、人間で描いたらただ見苦しくなる剥き出しの願望を、動物の語りを通してお話に昇華している感がある。ほかの動物の前では隠している気持ちを、ほしいものの売り主であるキリギリスには打ち明けなければならない。キリギリスはものを売ることで、他人の弱さのようなものをたくさん受け取っている。キリギリスがそのことにほくそ笑んでいたり、蔑みを感じていたりするのかというとそうではなく、ただときどきむなしさは感じるようだ。お客のことを考えている場面で「ほんとうはぜんぜん親切じゃないんだ!」と叫んだ後、現実のお客を前にして結局対応してしまったところで反駁される「親切であることは避けられない」という言葉は痛切だ。
 百個のケーキを買おうとしたり、なくならないケーキを買ってひどい目を見たら今度はアンチケーキをほしがったりするクマや、誰にも会いたくないから中から鍵のかかる戸棚を売ってくれというハサミムシの購入後の問題行動など、前述のロブスターほどではないにしろ、動物たちの要求はかわいいでは済まされないものも多い。けれども、どこか満たされない部分を抱えた動物たちの誰かには、読者が他人とは思えない共感を抱ける者がいるかもしれない。個人的には、〈恥知らず〉を売ってもらったアブラムシがいっとき傲岸な行動をとり、それを何年も後悔したというエピソードは、自分のことのように感じた。また「書けるものは書きつくした」というミズスマシが言葉の在庫を贈られて創作意欲を取り戻した旨の手紙を送るところや、新しい句読点を売ってもらった書記官鳥の、やはりかわいらしい手紙にはほっとする。
 後ろ向きなものを買いに来るお客が特に興味深い。「見せかけの絶望」しか持っていないので「ほんものの絶望」をほしがるカブトムシが、キリギリスに売ってもらった後それとダンスをする、という場面はとても美しく、一人で過ごす予定の誕生日のためにどしゃぶりの雨を売ってもらうミミズの話にはどこか満足感がある。
 キリギリス本人からの内面の要請もあるし、確かに良いこともあるけれども、問題客も抱えるこのお店の仕事は果たしてしあわせなのか。読了後思ったのは、そんな問いはいらないということだった。親切であることが避けられないのなら、それを生きるしかないという憂鬱さと諦念を、本書は静かに肯定しているように思える。

 (つむら・きくこ 作家)

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