書評

2022年1月号掲載

私の好きな新潮文庫

欲望の虜

檀れい

対象書籍名:『悪女について』/『ドンナ ビアンカ』/『五瓣の椿』
対象著者:有吉佐和子/誉田哲也/山本周五郎
対象書籍ISBN:978-4-10-113219-8/978-4-10-130873-9/978-4-10-113405-5

(1)悪女について 有吉佐和子
(2)ドンナ ビアンカ 誉田哲也
(3)五瓣の椿 山本周五郎


 読書は知的財産が増える気がして、私にとっては癒しであり楽しみでもあります。もちろん本屋は大好きで、時間があれば足を運んでいます。

悪女について 有吉佐和子『悪女について』は正に傑作でしょう。
 通常は主人公の心情や状況によって物語が紡がれていきますが、冒頭から主人公の富小路公子が既に死亡しているという事実が読者に提示され、主役不在の中、物語が進みます。誰が進めるかというと彼女の友人であったり、元夫であったりという二十七人の関係者。いわば二十七枚のピースを繋げて富小路公子の肖像画を完成させていくのですが、読み進めるほどこの女性が分からなくなります。
 例えば結婚をして子供がいるのに、一方で独身だと言い通し、複数の男性と同時進行で関係を持つ。本当は下町の八百屋の娘なのに、私には華族の血が流れていて、あれは実の母親ではないのよ、と周囲に漏らす。それも十代の頃から。加えれば彼女はその頃から宝石の転売や偽鑑定を行い、悪銭を稼いでいます。これは十代の女の子の手法ではありません。
 そもそも富小路公子という名前は偽名で、本名は鈴木君子。彼女はなぜ名前を偽り、人生を偽るのか。それは高い美意識ゆえだと私は考えています。
 公子の核心は高すぎる美意識。美に対しての執着が凄まじい。だからそれを手に入れるために何でもしているだけで、罪悪感や後ろめたさは一切無い。自分のことしか考えていない欲望の塊なのです。
 ですから何か指摘されても「まああ」と言って終わり。テレビに出て「愛ですわ」「愛で接すればみんな愛で応えてくださいますの。だから苦労したことはございません」と浮世離れしたことを平然と言ってのける。「愛」と「まああ」で全ての悪行を帳消しにする公子は非常に興味深い人物です。
「富小路公子、分かるなあ」という箇所は一切ありません。この人は一体どういう人物なのでしょう。最後まで読んでも謎しか残りません。
 しかし富小路公子を演じてくださいとおっしゃっていただけたら是非挑戦してみたい。人間としての一貫性を持たせながら二十七人分の公子像を見せなければなりません。難しい演技になるでしょう。

ドンナ ビアンカ 実際に演じさせていただいたのが誉田哲也『ドンナ ビアンカ』の魚住久江刑事。人の気持ちに寄り添うことを大切にしている女性で、非常に惹かれました。
〈いっそ、虫けらにでも生まれたら、どうだったんだろう〉という一行から物語は始まりますが、この独白は一体誰のものなのかすぐに分からないのです。疑問を抱えながら読み進めると場面がガラリと変わり、魚住刑事たちの動きが描写されます。次第に独白は過去のものであると分かり、現在と過去が交互に提示され、ついに中盤でその時間軸がピタリと合致したときの衝撃といったら! もう一度最初に戻り、読み直し、あっという間に読了しました。
 主人公の村瀬と瑶子の恋は切ないです。人間の欲望を剥き出しにする副島に翻弄される二人の姿には胸が苦しくなります。お願いだから幸せになって、これ以上不幸にならないでと心底願いました。

五瓣の椿 同じく主人公を心の底から案じ、その幸福を祈ったのが、山本周五郎『五瓣(ごべん)の椿』の主人公、おしのです。
 彼女の母親・おそのは外に男を作って遊び呆けるどうしようもない女性で、父親はそれを一切責めず黙々と働いています。しかし労咳に倒れ、死の間際に妻との面会を求めますが、おそのはその約束すら反故にし、父はそのまま亡くなります。不実を責めるおしのに向かって、おそのは「あれは実の父親ではない」と衝撃の事実を告げるのです。
 おしのは父を苦しめた母を殺し、また母の関係者を次々と殺めていきます。復讐です。素性を偽り、惚れているかのように見せかけ、最後は体を許すと見せ釵(かんざし)でひと突き。冷酷に復讐を遂げる一方で、事をなす前に「お父(とっ)つあん、あたしに力を貸して」と叫ぶかのように呟き、渾身の力を込めて成し遂げた後には嘔吐をする。悪になりきれず、とても切ない。おしのは夜叉にはなるけれども悪魔に魂は売っていない。ですから残酷な行為を重ねる彼女を応援したくなるのです。頑張れおしのちゃん、復讐を遂げるんだ!と。
 おしのはどこかで生きていて欲しい。貧しくても良いから、小さな幸せを掴んでいてほしいと切に思います。


 (だん・れい 女優)

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