インタビュー

2022年6月号掲載

地獄を再現したかった

――『空を切り裂いた』刊行記念著者インタビュー

飴村行

対象書籍名:『空を切り裂いた』
対象著者:飴村行
対象書籍ISBN:978-4-10-354581-1

――『粘膜探偵』以来、四年ぶりの新刊になりますね。

 2014年くらいからスランプに陥って、かなり苦しんでいました。「粘膜シリーズ」じゃない方向を模索していたのですが、なかなか上手くいかない。架空の世界ばかり書いてきたから、現実とどう対峙していいか分からなかったんです。2015年には、編集者からの電話やメールにも、返事ができなくなってしまって。
 他のことも何もできなくて、小説も読めないし映画も見られない。唯一見られたのが、「プライベート・ライアン」でした。毎日、夕方になると、字幕を切った戦闘シーンを繰り返し見るという日々が一年くらい続きました。

――そこからどうやって脱却できたのですか?

 2016年にエッセイ集が出て、本が出たことで少し気持ちが浮上しました。そんなとき「小説新潮」から短編の依頼をもらって、それで書いたのが「マアメイド」で、単行本では「燐灰 リンカイ」として最後に収録されています。
 大学を中退した後、派遣工を十年していました。それは本当に悪夢のような十年間で、まさにどん底でした。「マアメイド」には、そのとき見た風景を凝縮しています。当時の景色は、すべてが灰色のフィルターを通したみたいに、くもって見える。その頃は、感覚が麻痺しちゃっていたから、今思えば恐ろしいような出来事でも、恐怖を感じなかったんですよね。それを登場人物に置き換えて、あの頃の自分をデフォルメして書いたんです。

――その頃のことを書こうと思ったのはなぜですか?

 あれだけ苦しい思いをしたのに、「もったいないな」と思ったんです。地獄だった1994年からの十年間、中でも一番きつかったのは1999年なので、人生で一番きつかった地獄の年を、作品で再現してみたいと思った。

――書くとき、念頭においていたことはありますか?

 1999年に見た光景ですね。灰色の空、灰色の空気……という、すべてが灰色の世界です。それを思うと、不思議と言葉が出て来たんです。死にたいけど怖くて死ねないから、仕方なく生きている様な状態です。そういった経験を継ぎ合わせてみて、「あ、現実の世界も書ける」と思えて。それで、何とかやっていけるかもしれない、という気持ちになれました。出て来る人たちは、悪い人も含めて、全員が何らかの形で、自分の延長線上です。
 あの頃、地獄ではあったけれど、「さすがにもうこれ以上は堕ちないだろうな」という、絶望の果ての安堵感みたいなものもあったんですよね。根底にあるのは、その感覚です。どん底の底で、ちょっとだけ楽になる瞬間。
 書けない時期は、もちろんキツかったですが、あの十年間に比べたら、ギリギリ快楽の範囲なんです。作家になって、書けないって悩んでるなんて、かなりの贅沢ですよね。まさか、あの時代に助けられるとは夢にも思わなかった。この何とも言えない因縁が、虚構の世界でも現実でも、自分を助けてくれた。

――書き上げたことで、世界は変わりましたか?

 明らかに変わりました。例えば「だんご3兄弟」とか、あの頃流行っていた歌は、去年まで全然聞けなかったんです。聞くだけで吐きそうになってしまって。でも、今年は大丈夫になりました。この小説を書くことは精神のリハビリだったんだな、と感じます。

――作品のもう一つの肝、堀永彩雲という架空の作家を書こうと思ったのはなぜですか?

 押井守さんの「立喰師列伝」がやりたかったんです。架空の「立喰師」という職業と、戦後の復興を重ね合わせた壮大なホラ話なんですが、誰かの架空の人生年表を作ってしまうなんて面白いな、と。その作家に人生を変えられた人達を群像劇で描くことで、短編をつなげるもう一つのブリッジになるんじゃないかと考えました。
 彩雲のイメージは、漠然と、昭和の薄倖な文豪です。プライドだけは高いけど、気が弱くていざというとき逃げる。そういうのを思いっきりデフォルメしてみました。

――飴村さんの作品は、「狂気」がモチーフになっていることが多いですが、「狂気」とは何だと思われますか?

「強烈な思い込み」だと思います。「ある」ものを「ない」としたり、「ない」ものを「ある」と思い込んでみたり。誰でも、自分の都合のいいように考えたがるものですが、そこに情熱みたいなのが加わると、ヤバいことになっちゃうのかな、と。正気との境界を越えられる人は、むしろ臆病なんだと思いますね。怖すぎて、耐えられなくて、キレてしまう。弱いから、それを見せまいと躍起になって、その延長線上で一線を越えてしまう。よく怒鳴る人ほど小心者、というのはあちこちで見る光景ですよね。

――最後に一言お願いします。

 良くも悪くも、自分にしか書けない、他では味わえない異常体験ができる作品だと思っています。
 彩雲の最後の本が、彩雲という作家のすべての延長線上にあるように、この本も僕のすべての延長線上にあるので、これが面白かったら、既刊を辿ってみて下さい。


 (あめむら・こう 小説家)

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