書評

2026年4月号掲載

無知の罪

水生大海『私のせいではありません』

大矢博子

対象書籍名:『私のせいではありません』
対象著者:水生大海
対象書籍ISBN:978-4-10-356711-0

 なんともムカッ腹の立つタイトルである。
 なぜ腹が立つのかといえば、自己保身と責任逃れの言葉だからだ。責任を追及されるリスクを避けるため、責められずに済むように「私のせいではありません」と予防線を張っているわけである。で、だいたい真っ先にそう言うヤツに限って「そいつのせい」だったりする。
 だがそれは言い換えれば、「私のせいだと思われるかもしれない」可能性を自覚しているということになる。であればまだマシなのではないか。私のせいどころか、最初から自分には無関係だと思っている人や、そもそも問題が起きていることに気づかない人よりは。
 水生大海『私のせいではありません』は、同じ美大で学んだ友人たちやその関係者の視点で綴られる連作である。
 第一話は、友人の結婚式の二次会で久しぶりに顔を合わせた三人の学友の場面から始まる。教師になった千奈、アパレルメーカーに入った由紀、そして祖父の介護で仕事を辞めた「私」こと陽向。
 近況報告や思い出話の後、話題は学生時代に起きた事件に移る。ある教授の部屋の扉が真っ赤に塗られ、学生や関係者のアリバイを調べても犯人がわからないままだったという一件だ。だが今にして思えば……。
 さて、ここからが問題。この一編はパズラーとしてとてもエレガントかつレベルが高い上、意外な騙しも仕掛けられており、ミステリ好きを満足させるはずだ。だが本編の真骨頂は、その騙しを含めた謎が解かれたとき初めて、物語のテーマが浮かび上がるという構造にある。ある事実が判明した上で、それは本当に「私のせいではない」のか、私のせいでなければ誰のせいなのか、直接関わった者以外には本当に何の責任もなかったのかを読者に考えさせることになる。そして「なるほど、それがやりたかったのか」と膝を打つはずだ。
 したがって、ネタバレなしで話そうとすると本書の根幹たるそのテーマに触れられないわけで、実にやりにくいのだが仕方ない。
 第二話はその結婚式の主役である新婦の身に起きた出来事。第三話は披露宴に列席していた新婦や陽向らの学友の身に起きた事件。第四話は同じく披露宴参加者のある人物が胸に抱く悪意。そして最終話は再び陽向の視点に戻り、学生時代から続いていたある問題に向き合うことになる。
 どの編にも、時にははっきりと言葉にして、時には心の中で自分に言い聞かせるように「私のせいじゃない」と主張する人物が登場する。いやあなたのせいでしょと言いたくなる人物もいれば、気持ちはわかる人物もいる。だがここで注目願いたいのは、自己保身や責任転嫁すらしようとしない人々の方だ。
 問題が起きているのを知っていながら、何もしなかった人。自分には対処できたのだから他の人もそうであるはずと考える人。自分には無関係だと思っていた人。そもそもそれが問題だとは思いもせず、冗談のネタにしていた人。彼らには本当に罪はないのか。水生大海の筆は、各編にミステリとしての仕掛けや謎解きの醍醐味を仕込みながら、その先に「無知の罪」という真相を容赦無く炙り出していく。それは直接事件に関係した人や出来事に限らない。登場人物が出会った人や日常の風景の中にさりげなく、しかしはっきりと、私たちの生活の至る所に「無知の罪」が存在するのだと暴いてくる。あなたは気づいているか、ちゃんと見えているかと、何度も突きつけてくる。
 読者は、最初はミステリの仕掛けや騙しに感心するだろう。だが話が進むにつれ、謎解きの先に浮かび上がる現実に戦慄するはずだ。ここに描かれるのはフィクションの絵空事ではない。今目の前にある現実である。おそらく多くの読者が似た経験を持つであろう現実である。こういうふうにミステリのギミックの中に現実の冷たい刃を潜ませるやり方が、水生大海は本当に上手い。
 第一話の冒頭で、陽向は考える。「はじまりはいつだったのだろう」「六年前にあの赤い扉の謎を解いてさえいれば、今、違う景色が見えているかもしれない」
 本書に描かれる事件とその波紋に限っていえば、すべてではないにせよ、確かに六年前に起因している。あの時きちんと解決できていれば本書に描かれる数々の悲劇は、もしかしたらなかったかもしれない。あの時動けなかった、気づけなかったという数々の後悔に、登場人物たちがどう向き合うかをどうかじっくり味わっていただきたい。はじまりがいつだったのかはわからないにせよ、気づけたときがはじまりなのだ。
 はたして誰のせいなのか。読者の当事者意識を問う一冊である。本書を読み終わってもまだあなたは「私のせいではありません」と言えるだろうか。

(おおや・ひろこ 書評家)

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