書評
2026年7月号掲載
「省みる歴史」を提示する物語
加賀谷きよい『朱天の都』
対象書籍名:『朱天の都』
対象著者:加賀谷きよい
対象書籍ISBN:978-4-10-357021-9
物語の主たる舞台は、貴族たちが権謀術数を巡らせる京の都。姫君たちは実家の威信を背負って帝の寵を争う一方、大路小路には貧しき者の骸がごろごろと転がる光と闇の世──と記せば、「ああ、あの」と思われる読者もおいでかもしれない。そんな既視感を「鬼と人が共生している」という設定でまずぶっ潰し、次に酒乱の気がある破天荒なヒロイン・尚侍、美しき鬼の首魁・朱天、朱天の忠実な配下でもある陽気な鬼・茨木などの個性的なキャラクターたちで読み手の心を鷲摑みにする。それが日本ファンタジーノベル大賞2026受賞作である本作、『朱天の都』である。
平安時代中期に京の西・大江山に暮らし、夜な夜な都の姫君をさらって食っていたという鬼・酒呑童子とその一味。あまりの悪行ゆえ、帝の命を受けた源頼光らに討ち取られたとされる鬼たちの有名な伝説を下敷きとしてはいるものの、本作のキャラクターたちは鬼も人も、現実的とも言える柔軟さの中に生きている。
そもそも鬼と人が共生しているのも、つまりは慣れから来たもの。鬼は恐ろしいが、刺激しなければ襲ってこないし、そもそも日々を生きる人間は忙しい。いちいち鬼に構っている暇なぞない──という開き直りは、ほんの数年前、新型感染症を非常に恐れ、しかし一方ではその存在に慣れもして今日を迎えた令和の我々には大変馴染み深い。馴染み深さを覚えるのは、朱天を頭領といただく鬼の王国に対しても同様で、あるいは欲を生きる指標に、あるいは目に見えぬものへの憧れを抱く彼らの姿は、生身の人間と皆目変わらず、人の社会の写し鏡とも取り得る。
そんな彼らの討伐を命じられる武士たちは、鬼よりも疫病の方がよっぽど怖いと胸の中でひとりごちるし、ゆえあって鬼となった朱天は、飢えて死ぬまで民を搾取する帝は鬼となに一つ変わらぬと口にする。
鬼と人。明確なはずのその境目は読み進めるにつれて曖昧となり、物語の終盤ではついに両者混沌として、新たなる都の姿を生み出すにいたる。もともと共生していた鬼と人はさらに激しく混じり合い、ひとつ家の中にも両者が共存するが、例によって現実的な諦念を抱く人々はそれをしかたがないと丸ごと受け入れる。貴族社会の中で武力を専門とする技能集団として重用されつつあった武士は、鬼の力によって更なる力を得、その力が新しい世の中を切り開いていく。
──京の都の道が広いのは身体の大きな鬼たちが通りやすいため
現実の話として、京都は第二次世界大戦中、防火帯を作るために建物の強制疎開が行われたため、町の規模の割に幹線道路が広い。そんな事実すら、本作に触れた後には、「あれ、それってもしかしたら?」とつい疑ってかかりたくなる。我々がよく知る逸話を下敷きに、まったく異なる過去と未来まで描き出すダイナミックさが、本作の礎を成している。
それにしても、鬼とは何か。なぜ人は鬼になるのか。我々は漠然と、恨みや執心、深い嘆き、哀しみがその身を変えるとの理解を有している。しかしながら本作に登場するある美しき鬼は、「ひとは、恨みなどでは鬼になれませぬよ」と尚侍を諭す。
尚侍と心を通じ合わせる朱天はもとは、あかねという名の人間の子ども。貧しき村の中でも卑しめられる存在として生きていたあかねは、一帯を襲った飢餓と母の死によって人の身を失う。自分たちを苦しめた人々ごと村を滅ぼし、言葉すら持たぬ獣同然となったあかねが、その後、ある出来事をきっかけに再び口にした言葉は、実は彼女が人間として最後に語った言葉と同じ。
──生きたい。
その強い思いが本人を、あかねと出会った長幼幾つもの命を鬼に変え、新しい生命を吹き込んでゆく。だとすれば人が鬼になるとは、生まれ変わることと同義。むしろ人の世を思うがままに生きられぬ者に与えられる、一種の救済ですらある。そして両者が相反する存在ではないからこそ、彼らは互いを認め合い、都は鬼と人の交じり合う場として存在できるのではないか。
一見、異質と見えるものを如何に理解し、受け入れるか。それは今日の我々が実は常に己に問い続けねばならぬ問題である。あかねの村の人々は端っから、理解や受容を拒んだ。ならば、我々はどうか。本作の都の人々のような柔軟さを持ちうるのか。我が身についてはたと考えさせられる、「省みる歴史」を提示する物語である。
(さわだ・とうこ 作家)



