インタビュー

2026年8月号掲載

寺越陽子『高畑勲と「火垂るの墓」─「幻の脚本」と「7冊の構想ノート」を読み解く─』書評インタビュー

ずっと「火垂るの墓」を意識してきた

西川美和

4歳と14歳で、戦火を生き抜こうとした──。野坂昭如の小説を、高畑勲はどうやって映画にしたのか。新資料で明かすドキュメントを、「わたしの知らない子どもたち」の公開を控える映画監督が手に取った。

対象書籍名:『高畑勲と「火垂るの墓」─「幻の脚本」と「7冊の構想ノート」を読み解く─』
対象著者:寺越陽子
対象書籍ISBN:978-4-10-357081-3

もう「火垂るの墓」がやっている

 初めて映画「火垂るの墓」を観たのは大学生の頃だったでしょうか。本書『高畑勲と「火垂るの墓」─「幻の脚本」と「7冊の構想ノート」を読み解く─』のオビにある「二度と観たくない傑作」は言いえて妙ですよね、当時同じように思いました。そして高畑勲監督が1988年にこういう作品を作られた価値は、本当に高いと改めて感じています。
 10月に新作映画「わたしの知らない子どもたち」の劇場公開を予定しています。過酷な戦後を生きる女生徒と教師の物語で、戦災孤児がテーマです。ですからずっと「火垂るの墓」は意識してきました。「火垂るの墓」という金字塔があるのに、それ以上のものが必要だろうか。ましてや戦争を知らない自分が「火垂るの墓」以上のリアリティや、影響力のあるものを作るのは難しいのではないかとも思いました。
 なかなか映画は見直す勇気が持てませんでしたが、「高畑さん」「火垂るの墓」のキーワードを見るたびに記事を読み、高畑さんの言葉をよく読むようになりました。なかでも出身地・岡山市での講演で口にされた、「あれは反戦映画ではないということをずっと主張してきました」(2015年)という言葉にとても驚いたんです。
 本書もこの高畑さんの「反戦映画ではない」がひとつの軸になっていて、その真意に迫ろうと、著者でNHKディレクターの寺越陽子さんがいろんな関係者の方に尋ねていきます。

「作品のテーマは何ですか」

 本書を読んだ後、寺越さんがかつて高畑監督の「かぐや姫の物語」の制作現場を長期取材したドキュメンタリーを拝見しました(「高畑勲、『かぐや姫の物語』をつくる。~ジブリ第7スタジオ、933日の伝説~」2014年)。その冒頭がとても印象的です。
「かぐや姫」でどんな画を、どんな映画を作ろうとしているのか、と寺越さんが直接尋ねます。すると長椅子であおむけに身体を倒した姿勢の高畑監督がこう答えます。
「そんなの分かるわけないでしょう。そんなこと考えるわけ? 監督って」
「どんな映画ってどういう意味」
 そして「偶然これになっちゃったというだけだから」という発言も出てくる。映画を作る人間として、私にも同じように感じられることがあります。ベールに包まれた高畑さんからこんな無防備な本音を引き出すまでに、寺越さんがどれぐらいちゃんとカメラを回したか。このディレクターよく頑張ったなと思いました。
 映画監督は作品が完成すると「この作品を作ったきっかけは」「伝えたいメッセージは」と必ず聞かれて、そこでお客さんにも入ってもらわなきゃ、とか思いながら監督としてそれらしい言葉をひねり出すんですが、ほんとはそんなことを考えながら始めてないよな、というのが正直なところです。
 もっとこういう画を撮りたい、こんな事が起きたら人間がどうなるか知りたい。端緒は本当にささやかなものです。映像の作り手、物語の作り手としての単純な欲求ですよね。社会的意義なんか意識せず、自らの表現欲求や好奇心がひとつ湧き出したところから、色々調べていくうちに、様々な背景や時代、人間そのものについて同時に考えざるを得なくなって、結果的に社会性を帯びていたりするわけです。
 だからこそ、「反戦映画ではない」と自ら仰っていた高畑さんの正直さや繊細さは、作り手として信頼できるのです。
 では高畑さんの端緒は何だったのか。本書にも書かれていましたが、高畑さんは2人の兄妹がいかに死に向かっていったかを閉じた世界の中で描く「心中もの」を、アニメーションで描くという表現上の野心があったと仰っていた。そこから始まった作品が「反戦もの」として捉えられていくことへの違和感や罪悪感も、ご本人の中にはあったのではないでしょうか。
 もっと過酷な戦争体験をした、高畑さんよりも上の世代の方々に対して、自分が戦争を描くということへのおこがましさも語っておられた。「戦争の悲惨さを描いた代表作」のような大きな言葉で語られていくことへの抵抗感もあったのかもしれません。

アニメと実写の大きな違い

 アニメーションは絵によって、架空の世界や過去の風景も具現化されます。今では実写映画でもCGでの再現力が発達しましたが、1980年代の日本で戦争をリアリスティックに描くのは、アニメだからこそできたことでした。
「火垂るの墓」が私の作った映画と大きく違うのは、子どもが暴力を受けたり、飢えて痩せ細ったりという表現があることです。子どもが空襲の火の中を逃げ惑って、焼死体を見たりする表現は、実写映画としては非常にきつい。それがリアリティだとしても、そのショックは観客に何をもたらすのだろうかと考えてしまいます。
 さらに実写映画では生身の人間を演出しなければならない。生きてる子どもをあばらが浮くほど瘦せ細らせるのは不可能です。現存する人と働く上で、安全上ブレーキをかける線引きが実写の世界では必要ですが、アニメなら生々しさを省くことも可能なので、悲惨な光景も観客が受け止められる塩梅で表現できます。そこが野坂昭如さんの原作小説をアニメーション化した、非常に高い意義だなと思います。
 私の場合は映画を撮り終わったあとに原案小説で、実写映画では描けないことを書いたつもりです。
 アニメだったから描けた戦争の景色がある。美しい絵や愛らしい描写で辛い物語もなんとか観られる。そしてアニメだからこそ親と子どもで観る機会も得られるということも含めて、「戦争」の一面を知る作品としてはやはり最適とも思います。
 でも「火垂る」って、救いがないですよね。やりきれないところで終わらせている。そこが現代の作品には踏み切れない、素晴らしいところです。
 本書のなかで寺越さんは、脚本家の深沢一夫さんがお書きになったけれども採用されなかった「幻の脚本」について検証しています。深沢脚本は、原作小説では「農家」とだけ出てくる人物に「吾作」という名前を与えていた。吾作は、清太と節子に少しだけ優しくしてくれ、エンディングではふたりが暮らしていた横穴を訪れる。命を落としてしまった兄妹を見つめる大人もいたという、温かい視点を描いていたわけですが、高畑さんは自ら書いた脚本でそれらを切っていった。救いのない結末に落とし込んでいった。
 それは高畑さん自身が、戦中から戦後にかけて大人の言うことが180度変わっていき、それに対する怒りを体感した世代だからこそだと思います。本当は優しい大人もいた、みたいな筋立ては腹立たしいファンタジーに見えたのかもしれない。
 その腹立たしさを公開当時、1988年の大人たちはまだ共有できたのかもしれません。でも今はその感覚はもう実感しづらくて、あまりにつらい結末は「二度と観たくない」、さらに「戦争ものはもういや」となっていくのだろうとも感じています。

いまリレーをしていかなければ

 でも、それで本当にいいのかな、とも考えるんです。気が重いなと思いながらも、「火垂るの墓」をみんなで観て、黙り込むことに意味があったのじゃないのかなと。誰も観なくなった果てのこの国ってどうなるんだろうかと。
 大きな戦争の過去を持つ国に住みながら、自分の国の加害も被害も知らない時代が来つつあることを感じています。であれば、後から生まれた世代が何かのリレーをするしかない。
 そう思ったことが、それでも自分で映画を作ってみようというモチベーションになったかもしれません。
 そしてやっぱり高畑さんの言葉に励まされもしたんです。あるインタビュー記事では、悲惨な目に遭ったことを語り継いだところで、戦争は防げないということをはっきり仰っていました。さらに、そこに感動みたいなものを載せていくというのは、全然違うだろうってかなり厳しい言葉で語っておられた。
 そういう言葉に支えられて、あの戦争の惨状をいかにリアルに再現するかよりも、どうやったら次の世代に伝えていけるかにチャレンジしようと思うようになりました。戦争ものを観たくない人に観てもらうための表現、私の映画を観たことで、次は別の映画も観てみようとか、この本も読んでみようとつながるステップにしてもらえるような作品にしたいと考えたんです。
 でもふと、生きるって、そんなにいいものなんだろうか、とも思うんです。ただ生存するだけのことが重要だろうかと。「火垂るの墓」の根本にはその暗い問いがあり、ひやりとします。多くの人は、多くのものを押し殺して、生き延びることに腐心しながら黙々と現実を生きています。生きづらい時代になったとよく言いますけど、どんな時代もそうなのでしょう。高畑さんの映画、宮崎駿さんの映画には主人公が野山を駆け巡ったり、空を自由に飛んだり、生きる喜びを絵にしたようなシーンが多く出てくるけども、生きてるっていいな、この地球って素晴らしいって感じる瞬間は現実の人生にはなかなかありません。あのお二人だってずっと朝から晩まで、ほとんど小さな机に向かっていて、ご自身が作品の中で描いたような生活はされてないんじゃないですか(笑)。
 だから映画で生命の輝きを描くんだとも思います。その表現のなかで、生きることへの憧れを作家は描き、観客はもう一回思い出させてもらうという。そこに高畑さんのような優れた作家のお仕事があるのだと思います。
 この『高畑勲と「火垂るの墓」』を読んだことで、いい振り返りの機会をいただきました。

(にしかわ・みわ)

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